top of page
執筆者の写真創価学会元職員3名

3 創価変革のために闘う同志への迫害(埼玉の壮年Aさん③)

 3年前の2015年9月19日、公明党が自民党と共に安保法制を強行的に成立させるという衝撃的な事件が起こる。

 この時、埼玉で地区部長をしていたAさんは確信した。

 “今の公明党は創価三代会長の平和理念を踏みにじり、完全に権力の魔性に食い破られてしまった。

 これ以上、国政選挙で公明党を支援することは、師の教えに背くことになる!”

 そして翌2016年2月28日、Aさんは創価学会元職員3名が呼びかける「第1回横浜座談会」に参加され、その後、各地での座談会に参加されるようになっていった。そこには、なんの縛りもなく、互いに本音を言い合える麗しい同志の世界があった。

 今の創価に無くなってきている、開かれた「対話」の場にAさんの心は歓喜に溢れた。その後Aさんは、師匠池田先生の正義を胸に闘われる創価変革の同志の方々と連携を取るようになっていく。

 そうした最中、Aさんの地元組織は、地元の市議選と参議院選の支援の闘いに突入していった。

 当時、地区部長であったAさんは深く悩み、苦しんだ。

 “地区部長である自分は内票にならず、また外票も取らない。

 これは、地区の団結を乱す破和合僧になってしまうのではないか。自分が地区員さんを迷わせる存在になってしまうのではないか…”と。

 そして苦慮の末、Aさんは県長に、「市議選が終わる切れ目で地区部長の役職を外すことを検討いただきたい」と申し出たのである。県長は、「一度、その話は預かる」と返答した。


 しかし、その日から、Aさんの自問自答が始まった。

 “自分の選択は正しかったのだろうか。”

 真剣に題目を上げていった。すると胸中の師匠がこう伝えてくださった。

 “自分から地区部長の役職を辞任することは、自分の使命と責任を放棄することだ“と。

 自分は選択を間違ってしまったかもしれない。

 Aさんは、いてもたってもいられなくなった。そして、2016年4月、野口と電話する中で、その切実な心情を吐露されたのである。

 むろん、Aさんは自ら地区部長を辞めたいとは微塵も思っていなかった。これまですべて地区員さんを守るために、「何が正しいか」という一点で葛藤され、孤軍奮闘されてきたAさんであった。その壮絶な闘いをうかがい、野口は感動で胸が熱くなった。

 ただ一点、自分から地区部長を降りると申し出られたことだけは、それが本当に正しい選択であったのかどうか、疑問に思えてならなかったのである。

 野口は御本尊の前に座り、Aさんのことを真剣に祈った。そして、Aさんに率直にメールでお伝えさせていただいた。

「已むに已まれぬAさんのご決断は、本当に苦しい選択であったと感じます。

 ただ私としては、地区部長の役職について検討してもらいたいと県長に言われたことが、どうしても気になりました。

 正しいことを叫んで地区部長を解任されるならば、師匠が喜んで下さると思うのです。

 しかし、自分から地区部長という役職を辞任し、身を引くようなことがあれば、きっと師匠が悲しまれると思ったのです。

 自分はどこまでAさんの苦しみを我が心として感じることができているのか、まだまだ苦しみを分かっていない所はあると思います。

 しかし、Aさんに題目を送ろうと祈り、考えていく中で、私としてはAさんに地区部長を続けて頂きたいと思いました。

 正しいことを貫き通す地区部長でいて欲しいと思いました。

 正しいことのために共に命をなげうつ同志でいたいと思いました。

 共に師匠に喜んで頂ける戦いを、共々にさせて頂きたいと思っております。」

 メールを受け取ったAさんは、自分自身の“師匠への思い”と重ね合わせた時、その通りだと思った。

 地区部長を自ら辞任するという考えは自分の使命と責任から逃げていたのではないかと思った。

 Aさんは野口にメールを返信した。

「『自分から地区部長という役職を辞任したり、身を引くようなことがあれば、きっと師匠が悲しまれる』

 野口さんの仰る通りです!

 野口さんたちに出会えてよかったと、心から感謝しております!

 私も共に師匠に喜んで頂ける戦いを、共々にさせて頂きたいと決意しております!」と。

 飾らずにありのままを話して下さるAさんの振る舞いに、真の弟子の信心を学ばせていただいた。野口は感動で涙が溢れてきた。

 “こうしたまじめな庶民の方々がなぜ苦しめられなければならないのか!

 うした方々こそ、創価学会なのだ!

 真剣ゆえに「今の公明党は支援できない」と声を上げる学会員を、話も聞かずに排除する今の学会本部は間違いなくおかしくなってきている!”

 後日、Aさんは県長に自らの思いを誠実に伝え、自ら身を引くという命を絶ち切ったのである。

「地区部長の役職を外すことを検討していただきたいと言ったのは、私の本心ではありません。本当は地区部長として、地区の方々のために全力で闘いたい。池田先生からいただいた役職をまっとうしたいと思っています。

 ただ、どうしても今の公明党を支援することだけは出来ません。いや、地区部長として、師匠に違背する公明党の実態を地区員さんにもっと知っていただかなければならないと思っています。」と。

 しかし2016年5月、Aさんは副支部長専任とされ、10年にわたって務めてきた地区部長を降ろされてしまう。

さらにこの頃から、県長と圏長の二人組による、Aさんへの懇談という名の“査問”は重ねられていく。

 そして、徐々にエスカレートする学会本部の迫害は、Aさんの私生活にまで及んでいくのである。


(「★4」へと続く。)

閲覧数:132回

最新記事

すべて表示

8「侮辱行為」を司法から断罪された本部職員A氏および学会本部との闘い(川崎の同志5名 パート⑥)後編

(野口桃子さんが昨年8月に原田会長へ書いた5通目の手紙を、全文掲載いたします。) 原田 稔 会長 私は、昨年4月3日に原田会長へお手紙を書かせていただきました川崎総県多摩栄光区多摩支部の婦人部の野口桃子と申します。  原田会長もすでにご存知のことと思いますが、私の支部の支部...

Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page