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A 原田会長は、2014年11月8日の聖教新聞で、「大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」と明確に発言しています。私たちは、これは大御本尊の否定以外の何ものでもないと思っています。
戸田先生は明確に言われています。
「これは(民衆の苦悩を救うために、日蓮大聖人様が建立し遺(のこ)されたのは)、弘安2年の10月12日の大御本尊様のただ1幅なのです。そこから、分身散体の方程式によりまして、ずうっと出てくるのです。それから、ほかの本尊、どこを拝んでも絶対にだめなのです。弘安2年の10月12日の大御本尊様から出発したものでなければ、法脈が切れていますから、絶対だめなのです。」(昭和30年8月24日『戸田城聖全集』第4巻343頁)
「私の願いとするところは、この弘安2年の10月12日の大御本尊様を信ずるということです。」(昭和30年8月24日『戸田城聖全集』第4巻343頁)
また池田先生も明確に言われています。
「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない。」(1993年9月16日第1回アメリカSGI最高会議)
大御本尊は、創価学会の信仰の根本尊敬の対象です。根幹中の根幹なのです。
また「受持」とは、「正法をよく信じたもって、いかなることがあっても違背・退転しないこと」を言います。つまり、「受持しない」とは、「信じない」「たもたない」という意味です。
つまり、「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」とは、大御本尊を「信じない」「たもたない」として否定している以外の何ものでもありません。
「受持即観心」とあるように、“御本尊の受持が成仏への直道”であるにもかかわらず、本部執行部は、創価学会の根本の信仰の対象である大御本尊を受持の対象から外したのです。現本部執行部が行なった教義変更は、『邪義』以外の何ものでもありません。
そして、この教義変更について最も重大な問題だと感じることは、学会本部が学会員に対して十分な説明を怠っていると思う点です。創価三代の師匠が一貫してこられた教義の根幹部分を変更したにもかかわらず、学会本部は2014年11月8日付の全国総県長会議での原田会長の話と、2015年1月29、30日付の教学部による解説を聖教新聞に載せた以外には説明がありません。
本来ならば、この教義変更についての解説本を1冊書けるほどの重要な変更ではないでしょうか。
また、「これまでの学会の説明そして師匠が述べてきたこととの整合性」や、「なぜこのタイミングで変更したのか」など教義変更に関する疑問について、学会本部が質問の窓口を設けてその内容・回答をホームページ上で公開するなどし、広く学会員が納得できるようにしても良いくらいの話だと思います。
この点については、また別の機会にブログで書きたいと思っています。
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A それは違います。上のQ&Aで戸田先生の指導を引用しましたが、「弘安2年の大御本尊」が創価学会の根本の御本尊であり、これは不変です。池田先生も、コロコロ教義を変えるような宗教は、誤れる宗教だと明確に断じています。
そして池田先生は、2013年の広宣流布大誓堂の入仏式に参加はされていますが、その時に御安置された「創価学会常住御本尊」を創価学会としての根本の御本尊、つまり創価学会の『大御本尊』として認定された事実はありません。
そもそも、広宣流布大誓堂に御安置されている「創価学会常住御本尊」も、弘安2年の大御本尊を書写したものです。
また、学会員の各ご家庭にご安置されている日寛上人書写の御本尊も、同じく弘安2年の大御本尊を書写したものなのです(題号の脇に「奉書写之」と書かれています。「之」は大御本尊を指します)。
書写元である弘安2年の大御本尊を受持せずに、書写先を受持させるとは、まったく論理が破たんしているのではないでしょうか。
師匠池田先生がこんな拙速・杜撰な教義変更を認められるはずがありません。
これまでもブログで述べて来ましたが、私たちは2014年7月の段階(7月1日に集団的自衛権の行使容認に公明党が賛成し、7月2日に学会本部が公明党を擁護する声明を出した時点)で、池田先生は難しい問題に対するご判断ができないご健康状態になられていたと思っています。
したがって、2014年11月の「弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」とした間違った会則・教義変更の段階では、池田先生は難しい問題へのご判断ができないご健康状態になられており、私たちは池田先生のご判断は入っていないと考えます。つまり、2014年の会則・教義変更は現本部執行部が独断で行ったと見ています。
さらに、2015年の新・勤行要典作成の際に、「池田先生のご了承を取った」と聖教新聞に載りましたが、これこそ本部執行部による完全なる“師匠利用”だと思っています。執行部は師匠を盾に使い、学会員を欺き続けているのです。
私たちは本部職員在籍当時、池田先生の周囲の最高幹部達が池田先生のご指示やご指導をまったく守らない実情を嫌というほど見て体験して来ました。
つまり、池田先生はまったく悪くありません。信じられないほど保身で憶病な周囲の取り巻き幹部たちが、池田先生を利用している実情があるのです。
もう一度言います。池田先生はまったく悪くありません。
原田会長はじめ現本部執行部の狂いに一切の元凶があるのです。
ゆえに、一刻も早く、創価の教義を創価三代の筋が通った教義に戻さねばならないのです。民衆が下から上を折伏していく声をあげ、「師匠の創価に帰れ!」と叫び抜き、今こそ創価変革のために闘いを起こす時代が来たのだと思っています。
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A もちろん、構いません。各々個々に事情がおありだと思いますので、決してご無理はなされないで頂きたいと思っています。毎回、サングラスやマスク、帽子を被って参加されている方々がたくさんいます。
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A もちろん、参加していただいて構いません。学会本部は、仰る通り会員との対話に応じず、権威主義化している状況です。最近では、本部に問い合わせても、担当者は名前すら教えてくれません。明らかに変質しています。
政治の分野の話も、いろいろな意見があって良いと私たちは思っていますし、だからこそ互いに対話をしていくことで、より良いものを生み出せる。それが本来の創価だと思っています。
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A もちろん、構いません。第2次世界大戦から続く沖縄の基地問題は公明党・創価学会にとっても極めて重要な課題です。ところが、公明党と学会本部は、反戦や軍縮とは真逆の安保法制を推進し、“武力による抑止力による積極的平和”なるデタラメな平和を語っている。公明党の狂いの元凶が学会本部にあることは間違いありません。
師匠は明確に仰っています。
「核も、基地もない、平和で豊かな沖縄になってこそ本土復帰である――それが、沖縄の人びとの思いであり、また、伸一の信念であった。」(新・人間革命13巻「楽土」の章)と。
沖縄の平和なくして、本土の平和は絶対にないとの信念で共に闘いたいです。