御金言にいわく、
「日蓮の弟子の少輔房といい、能登房といい、名越の尼などといった者たちは、欲深く、心は臆病で、愚かでありながら、しかも自分では智者と名乗っていた連中だったので、ことが起こった時に、その機会に便乗して、多くの人を退転させたのである」(御書1539頁、通解)
日蓮大聖人の弟子の中には、師匠の大恩を忘れ、退転、反逆していった者が数多くいた。とくに大聖人が亡くなられた直後には、教団の最高幹部であった五老僧が師匠を裏切っていった。
口では「師匠、師匠」と言いながら、慢心、虚栄の心に毒され、人間としてあるまじき忘恩背信の姿となっていった「偽物の弟子」である。
まさに、池田先生が表舞台に立たれなくなった2010年5月以降、師弟を見失い、権力への迎合に執着する現本部執行部の姿を彷彿とさせる。
そうした裏切りの弟子と、師弟不二を貫く「真の弟子」との決定的な違いは何か。
池田先生は、こう仰っています。
「師の指導を、我が身に引き当てて、真摯に姿勢を正していくのか、他人事のように聞き流していくのか――。
この『如是我聞』の一念の厳しき差に、師弟を貫いていけるか、愚かなる人間と堕ちていくか、全く厳しい勝敗の分かれ道がある。
ゆえに、仏法は『勝負』だと仰せなのだ。」(2006年5月20日付「随筆 人間世紀の光」)
「如是我聞」―― 師匠の仰せを一言一句、命に刻み実現しゆく弟子の闘いこそ、日蓮大聖人の時代から継承される正しき仏法の実践だと師匠は教えられています。
日蓮大聖人の不二の弟子・日興上人は、富士大石寺を建立し大聖人の信心を護り抜かれました。しかし、腐敗・堕落した坊主らによって、日蓮仏法は700年にして白法隠没せんとしていた。
そして戦時下の1943年6月27日、当時の軍部権力の弾圧を恐れた宗門は、牧口先生と戸田先生を本山に呼びつけ、学会として「神札」を受けるように迫ったのです。
しかし、牧口先生は厳として言い放った。
「学会は神札を絶対に受けません」と。
権力に屈服せず信念を貫かれ、命にかえても仏法を護持なされたのです。
この先師の殉教の姿こそ、創価学会の永遠の原点です。
初代牧口先生の一念によって、日蓮仏法は護られ現代に蘇った。さらに、二代戸田先生は獄中まで師匠・牧口先生にお供し、生きて牢獄を出られ創価学会を再建。
その後、戸田先生は不二の弟子である池田先生に後継の全てを託された。
「一生涯、お前が第3代会長だ。私の精神を受け継いだ、ただ一人の私の弟子だ」(2006年7月1日、全国代表協議会での名誉会長のスピーチ)
「私の心を分かってくれるのは、大作一人だな」(2006年8月8日、各部合同研修会での名誉会長のスピーチ)と。
こうして、日蓮大聖人の信心は創価三代の師弟に脈々と受け継がれ、創価学会は正しき信心によって興隆、発展を遂げました。
「よき弟子をもつときんば師弟・仏果にいたり・あしき弟子をたくはひぬれば師弟・地獄にをつといへり、師弟相違せばなに事も成べからず」(御書900頁) 日蓮仏法の根幹は、どこまでも師弟不二であることは御書に照らして明白です。 そして、創価学会は三代会長を永遠の師匠と定めているのです。 ならば、「2014年教義変更」についても、師匠が仰るとおり 「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない」(1993(平成5)年9月16日、第一回アメリカSGI最高会議)との御指導のままに、師弟不二の信心を貫くことが弟子の生き方であると確信します。 ゆえに、私たちは、学会本部なかんずく原田執行部に対し、以下の点を提言したいと思います。
いつの時代も、清浄な和合僧団である創価学会を蝕むのは、腐敗堕落した“聖職者”である。
現在の聖職者たる本部職員なかんずく原田執行部に対し、「創価三代の師匠の仰せに立ち返れ!」と、力の限り声を上げ抜いて参りたい!
一切の遠慮を排し、民衆の声を突き付けていく!そうでなければ、与同罪は免れない。
「本当の立派な信心とは、創価学会の大恩を知って、創価学会を命をかけて護ることである」(2005年1月7日、本部幹部会・東海道総会での名誉会長のスピーチ) わが命をかけて、師匠が築かれた創価学会を断じて護る! 師匠の思想、創価三代の教義が破壊され、温かい創価の世界が冷たく変貌させられている今こそ、弟子が立ち上がり、師匠の理想の創価を取り戻す時である!
(2018年2月11日撮影)
((上)の『♠5 「創価学会の教学を根底から覆す教義改悪を行なった学会本部」に対する提言(上)』は、一つ前の記事にアップしています。)
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