現在の創価学会は、会内では、会の発展を想い已むに已まれぬ思いで声を上げる会員に対し、心ない「査問」や「処分」などの「会員いじめ」が横行しています。
そして会外では、本来の理念である絶対平和の思想に反する「安保法制」を推進したりするなど、その「狂い」は誰の目にも明らかです。
こうした「狂い」の原因は、現在の原田会長を中心とする本部執行部が、「永遠の指導者」である池田先生の御指導をないがしろにしていることにあると思えてなりません。
原田執行部は今、創価学会の原点であり、根本中の根本である師匠池田先生の御指導を次々と改ざんしたり、ご著作を絶版にしたりしている実態があるのです。
昨年、聖教新聞に掲載された小説「新・人間革命」の『大山の章』では、昭和54年の池田先生の会長辞任の理由まで改ざんされてしまいました。
以下の文章は、昭和54年4月22日における山本伸一の心情が書かれた場面です。
「彼(山本伸一)にとって法華講総講頭の辞任も、学会の会長の辞任も、もはや未来のための積極的な選択となっていた。
もちろん辞任は、宗門の若手僧らの理不尽な学会攻撃に終止符を打ち、大切な学会員を守るためであった。しかし、『七つの鐘』が鳴り終わる今こそ、学会として新しい飛翔を開始する朝の到来であると、彼は感じていた。
また、これまで十分な時間が取れず、やり残してきたこともたくさんあった。世界の平和のための宗教間対話もその一つであったし、功労者宅の家庭訪問など、同志の激励にも奔走したかった。」(新・人間革命30巻上61頁)
このように、まるで池田先生(山本伸一)が、「広宣流布を進めるために積極的に会長職を辞任した」かのように書かれているのです。
しかし、池田先生の会長辞任の理由は、当時の「宗門問題の責任」を師匠がただお一人で背負われ、坊主らにいじめられている会員を守るため、已むに已まれず辞任せざるを得なかったというのが真実なのです。(随筆「嵐の『4・24』断じて忘るな!学会精神を」参照)
言い換えれば、宗門問題の全ての責任を師匠に負わせてしまった「弟子の敗北の歴史」です。師匠が積極的に会長職を辞任したのでは決してありません。
池田先生は昭和54年の会長辞任について、かつて以下のようにスピーチされたことがありました。
「戸田先生は、遺言された。
『第3代は、一生涯、会長として指揮を執れ!
第3代が、一生涯、会長として指揮を執ることこそが、創価学会の常勝の道である』
第3代会長を、皆で一生涯、護れば、必ず広宣流布できる――これは、執行部が、皆、戸田先生から厳命された遺誡であった。
しかし、名聞名利に溺れ、嫉妬に狂い、権力の魔性に屈した人間たちが、第3代の私を追い落とし、迫害し、学会を乗っ取ろうとした。
その陰には、提婆達多のように卑劣な謀略の輩に誑かされた最高首脳がいたことは、よくご存じの通りだ。」(2007年8月9日、全国最高協議会)と。
『第3代は、一生涯、会長として指揮を執れ!』――これが戸田先生の厳命された遺訓です。このことからも池田先生が積極的に会長を辞任することなどあり得ないのです。
そして、『第3代会長を、皆で一生涯、護れば、必ず広宣流布できる』――この戸田先生の遺訓は、当時の学会本部の最高首脳に対する厳命だったのです。
それにもかかわらず、当時の最高首脳たちは「卑劣な謀略の輩に誑かされ」、戸田先生の厳命を護らずに、第3代会長の池田先生を会長職から辞任させてしまった。
これが、師匠が語り残された「真実の昭和54年の歴史」なのです。二度と弟子が忘れてはならない命に刻むべき重要な歴史なのです。
さらに、忘恩の北条浩第4代会長を中心とする当時の本部執行部は、宗門の悪坊主に言われるがままに、
「池田先生を先生と呼んではいけない」
「池田先生に会合で話をさせてはいけない」
「聖教新聞に池田先生の指導を載せてはいけない」
と組織に徹底し、師匠である池田先生と弟子である学会員との絆を分断していきました。
現会長の原田稔氏も、昭和54年4月24日に北条浩新会長と共に、新任の副会長に任命された最高幹部の一人であり、「卑劣な謀略の輩に誑かされ」「第3代の池田先生を追い落とし、迫害し、学会を乗っ取ろうとした」人間の一人でした。
あれから40年、本来ならば原田会長は師匠が動けなくなった今こそ師匠への忘恩の歴史を取り戻すべく戦う時が来ているはずなのです。今こそ師匠の思想を護るべく戦わなければいけないはずなのです。
しかし、今もなお、自らの忘恩・裏切りの過去を反省しない原田会長は、「新・人間革命 大山の章」を使って、“師匠は、創価学会の未来を見据えて会長職を弟子に託し、世界を舞台に闘いを開始された”という「美談」を作出し、自らが師匠池田先生を裏切った事実を隠ぺいしてしまっている。
さらには、原田執行部は、後世に永遠に残すべき池田先生の御指導の集大成である「池田大作全集」を絶版にし始めている実態があります。
先日、私は師匠の御指導を後世に残すために、『池田大作全集』を全巻そろえようと思い、聖教新聞社に「現在、購入できる池田大作全集の巻数」を問い合わせました。すると信じられない事実が判明しました。
「池田大作全集」全150巻のうち、すでに合計95巻が在庫切れで、もう増刷の予定はないということが分かったのです。つまり、事実上の「絶版」ということです。
もともと「池田大作全集」には、2006年5月以降の池田先生のご指導が収録されていないという問題がありました。
2006年5月以降、師匠は職員全体会議の場において、学会本部内の不祥事や悪い職員幹部に対して、厳しい御指導を何度もされています。当時、本部職員であった私たちはそうした御指導をリアルタイムで拝聴し、また後日の聖教新聞でも学んでまいりました。
しかし、「池田大作全集」には、そうした2006年5月以降の職員や幹部に対する厳しい御指導が一切掲載されていないのです。
たとえば、2008年当時の、以下のような御指導は全集には収録されていません。
「もし将来、学会の中に悪い人間が出るようなことがあれば、皆が心を合わせて、一体となって戦うのだ。
“三代の会長は、こう言っていた。あなたのやっていることは、おかしいではないか!”
“私は師弟の精神を教わってきた。師匠から、長年にわたって指導を受けてきた。あなたの言っていることは、それと違うではないか!”
そう言って、立ち上がるのだ。絶対に、悪人を、いい気にさせてはならない。断じて見逃してはならない。」(2008年3月1日付聖教 婦人部最高協議会より)
学会の永遠の発展にとって重要な、幹部に対する厳しい師匠の御指導が「池田大作全集」には収録されていないのです。
こうした御指導が広く会員にも普及されれば、現本部執行部に対する会員の目も厳しくなることは当然です。
まるでそうした事態を避けるかのように、2006年5月以降の御指導が収録されていない実態に、原田執行部をはじめとする本部職員幹部たちの保身を感じてならないのです。
池田先生は、師匠である戸田先生のご指導を一言一句書きとどめられ、すべて、後世に残して下さいました。
そして、今度は池田門下の私たちが、いよいよ師匠の御指導を一言一句も漏らさずに、世界に広めていく時代が到来したはずなのです。
それにもかかわらず、原田執行部は、師の御指導を改ざんしたり、絶版にしようとしている。
原田執行部は、一体全体何がしたいのか?
私は、本部職員たちが池田先生の御指導を私物化し、自分たちの地位の存続のために利用しているのではないかと思えてなりません。
「日蓮御房は師匠にておはせども余にこはし我等はやはらかに法華経を弘むべし」(御書961頁)
日蓮大聖人の御在世当時もそうでした。不知恩かつ臆病・保身の五老僧は、日蓮大聖人の御指導、御精神を捻じ曲げ、我流の説法を始めていきました。
私には現在の原田執行部がやっていることも、五老僧と同じであると思えてなりません。
公明党の腐敗と堕落。そして、原田執行部による指導の改ざん。
結局、「師匠、師匠」と口では叫んでいても、原田執行部は保身と臆病の心に敗れてしまっていると感じてなりません。
創価学会の信心は、どこまでも日蓮大聖人の精神と実践を貫かれた創価三代の師匠の「師弟不二の精神」と「死身弘法の実践」が根本です。
ゆえに、「師弟不二の精神」を具現化した師匠の御指導を改ざんしたり、隠蔽したりすることは、創価学会の正統性を自ら放棄することと同じであると気づくべきです。
ゆえに、私たちは、原田執行部に対して、以下の点を提言したいと思います。
創価学会が永遠に守り、弘めるべきは「師匠池田先生の御指導」です。 ゆえに私は声を大にして叫び抜きたい。 「常に師匠池田先生の御指導に立ち帰れ!」 「どこまでも師匠池田先生の御指導の通りに行動せよ!」と。
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