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  • 執筆者の写真創価学会元職員3名

5「創価学会の教学を根底から覆す『教義改悪』を行なった学会本部」に対する提言(上)

更新日:2019年4月16日

 先月の大阪座談会で、ある壮年の方が憤りを顕わに語られた。 「2014年の教義変更は、学会の教学を土台から覆す本部執行部の暴挙であって、センセイが認められるはずがない!」と。  その壮年の方は、「随筆『民衆凱歌の大行進27』」(2015年9月16日付聖教新聞掲載)を紹介しながら話される。 「この先生の随筆に、『法本尊』という言葉が出てくるんですが、ちょっとおかしいと思いませんか。  学会本部が教義変更を行なったのは2014年11月です。そして、その後の教学部の解説(2015年1月)では、『日寛教学の一大秘法、六大秘法という用語は、今後用いない。』ということが明記されています。  なのに、教義変更後に書かれたこの随筆には、『六大秘法』の一つである『法本尊』という言葉が、用いられているんです。  ということは、“学会本部として用いないこととした『六大秘法』を、池田先生が用いている”という矛盾が生じているんです。  この随筆を先生ご自身が書かれたとすれば、先生は原田執行部が行なった教義変更を『了承されていない』ということになる。  それとも、池田先生の代筆をしている本部職員が矛盾しているのか?  どちらにしても、今回の教義変更は、池田先生の仰せに反する一部の最高幹部が、師匠の了承を得ずに行なったものだと考えられると思うんです。」  その場にいた参加者も、うなずきを深くされている。皆、少なからず疑問に思っていたことなのだろう。  今、全国各地で、学会本部が行なった『2014年教義変更』について、「あれは改正ではなく、改悪だ!」と声を上げる学会員が後を絶たない。

 『2014年の教義変更』  それは、「大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」(2014年11月8日付聖教新聞)として、『信仰の根本である大御本尊を否定』する大謗法である。  まさに、創価三代の師匠が死にもの狂いで創られた創価学会の伝統教義を、根底から覆す破壊といってもよいものである。

 かつて師匠池田先生は、大阪事件の出獄後(1957年7月17日)、中之島の大阪市中央公会堂でこう獅子吼されました。 「最後は、信心しきったものが、大御本尊様を受持しきったものが、また、正しい仏法が、必ず勝つという信念でやろうではありませんか!」(『人間革命』第11巻 『大阪』の章)と。 (※現在、学会本部は、この「大御本尊」の「大」の字を音声データから削除し、書籍も改ざんしている。)  また、創価学会が日蓮正宗大石寺から「破門通告書」を突き付けられ『魂の独立(1991年11月28日)』をした以降も、師匠は明確に宣言されています。 仏敵日顕が支配している大石寺は、大聖人の魂が住まわれていない身延のごとく、『謗法の地』と化してしまった。  今、大石寺に参詣すれば、功徳があるどころか、大聖人のお叱りを受けて、罰を受けるだけである。  一閻浮提総与の大御本尊が、信仰の根本であることは、少しも変りない。  しかし、大御本尊に御目通りするために日顕に供養することは、日顕の謗法を容認することになる。謗法の僧を支えれば、同じ罪を得てしまう。『与同罪』といって、いわば共犯者になるのである。」(1993年11月7日、「『魂の独立記念日』祝賀の最高協議会」でのスピーチ、【池田大作全集83巻収録(絶版)】)

 つまり師匠は、「謗法の地と化した」日顕宗を厳しく糾弾なされた上で、それでも一閻浮提総与の大御本尊が、信仰の根本であることは、少しも変りないと、一貫して『大御本尊根本』を明言されているのです。  しかし、こうした師匠の仰せに対し、原田会長による「大石寺が大謗法の地と化したから、大御本尊を受持の対象にはしない」との『2014年教義変更』の論理は、まったく真逆なのです。

 さらに、原田会長は、「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、すべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく『本門の本尊』であります」(2014年11月8日付聖教新聞・「『創価学会会則 教義条項』の改正について」)との独自の本尊論を展開。  言うなれば、“他宗教の謗法の寺だったとしても、「大聖人御図顕の本尊は全て本門の本尊」である”という「己義」を構えたのです。  まさに「本尊雑乱」を招く改悪であると、私は確信しました。

 この原田会長の己義によって無理が生じたのか、学会本部は「2014年教義改悪」から2か月後に「教学部による補足解説」として、以下の内容を聖教紙上に掲載しました。 「『日寛上人書写の御本尊』も『弘安2年の御本尊』も等しく『本門の本尊』であるが、『弘安2年の御本尊』は、大謗法と化した他教団の大石寺にあるから、受持の対象としない」(2015年1月30日付聖教新聞)と。

 つまり、池上本門寺や身延山久遠寺などの謗法の寺にある『大聖人御図顕の御本尊』と、それを書写した御本尊については、「等しく『本門の本尊』である。」としておきながら、大石寺にある「弘安2年の御本尊」だけは「受持の対象としない」と特筆しているのです。  その目的は、「大石寺のみを切り離す」ということに他ならない。  私は、そこには、昭和54年に日顕宗の坊主らと結託し、師匠を第三代会長の座から追い落とした当時の秋谷前会長や原田現会長の「負い目」を感じてならないのです。

当時、最高幹部だった秋谷栄之助氏、原田稔氏は、師匠を守らず会長辞任に追いやっておきながら、なんとその日に自らは副会長となっているのです。  特に原田現会長は、昭和54年の自らの敗北を一言たりとも口にせず、結局は今も隠し続けているのです。  しかし、どれだけ逃げ隠れしようとも、真実は隠し通せるはずがありません。  池田先生は厳然と、真実の歴史を書き残してくださっています。 「幹部たちは、宗門と退転・反逆者の策略に、完全に虜になってしまったのである。 情けなく、また、私はあきれ果てた。 戸田会長は、遺言された。 『第三代会長を守れ! 絶対に一生涯守れ! そうすれば、必ず広宣流布できる』と。 この恩師の精神を、学会幹部は忘れてしまったのか。なんと哀れな敗北者の姿よ。 ただ状況に押し流されてしまうのなら、一体、学会精神は、どこにあるのか!」(1999年4月27日付「随筆 新・人間革命79 嵐の『4.24』」。※この随筆を収録した『随筆 桜の城』は絶版)

 こうした過去の「敗北の歴史」に蓋をしたい原田執行部が、「日顕宗との一切の決別」を図ったのが「2014年の教義改悪」である。

 さらに、学会本部は今回の教義変更について、 「今回の改正は、『魂の独立』から23年、世界広布の伸展の時代的要請に応えるため、日蓮大聖人の仏法の本義に立ち返って、従来の教義解釈を整理し直したものである。したがって、教義の変更ではなく、教義の解釈の変更と位置づけられるものであるなどと姑息な言い訳をしている。  そうすることで、大した変更ではないかのように学会員の目を欺き、“きっと池田先生も了承していることだろうから、学会本部が間違ったことをするはずがない”と思い込ませているように感じるのです。

 信仰の根本である大御本尊を否定した教義変更について疑問を感じたある学会員の方は、学会本部宛に問い合わせの電話をかけたそうです。  すると、電話応対に出た本部職員は、なんと「電話口でしばらく沈黙」であったという。  今の学会本部は、「2014年の教義変更」について誰もが納得する説明ができない、というのが実態なのです。

((下)の『♠6 「創価学会の教学を根底から覆す教義改悪を行なった学会本部」に対する提言(下)』は、最新記事としてアップしています。)

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