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  • 執筆者の写真創価学会元職員3名

3「創価三代の指導に違背する学会本部」に対する提言(上)

更新日:2019年3月17日

 先月2月13日、通称「ひとりの学会員」こと愛知県の天野達志さんに対し、ついに「除名処分申請」という、創価学会員としての斬首の刃が向けられました。  創価学会を変革しようと闘う尊き同志に対する除名申請は、埼玉壮年部の篠澤協司さん、婦人部の鎌田有子さんに続いて、天野さんで3人目となります。  しかも、除名申請の理由は、「原田会長を中心とする本部執行部の『批判』をした」という、篠澤さんや鎌田さんと同じ理由です。  しかし、天野さんは本部執行部に対して、なにも「批判のための批判」をしていた訳ではありません。  ここ数年、創価学会本部特に原田執行部が、創価学会の本来の理念である「絶対平和の思想」に違背し、戦争や武力行為を容認する『安保法制』を推進したり、公明党が与党にいるにもかかわらず、日本が『核兵器禁止条約』に賛成しないことに対して何らの声明すら出さない消極的な態度に留まっていたりしている。その“師弟相違のズレ”に対し、天野さんは一信仰者として、一弟子として「勇気の声」を上げていたにすぎないのです。

 そもそも「本部執行部」への「批判」を理由に除名申請すること自体、常軌を逸した行為だと思えてなりません。 「創価学会の永遠の指導者」である池田先生は、第三代会長であった当時、創価大学の学生を前に、こう御指導されています。

「私が申しあげたいのは、創価大学に対しても、創立者に対しても、批判をしてはいけないということは一つもありません。いくらでも批判してけっこうです。  また、私はご存じのように創価学会の会長であります。創価学会に対しても、信仰についてもいくらでも批判しても結構です。  大学としても、学会としても、また私としても、反省すべきことは反省しなくてはならないし、改めるべき点はいさぎよく改めねばならない。諸君が創価大学に学んでいるのだから大学のことをはじめ、すべてに対して厳しい発言ができないなどという考えは、誤りである。  皆さんが真剣に物事を思索し、言いたいことがあれば、何を言ってもよいし、いかなることを論じてもよい。自由奔放であっていただきたい。これだけは、はっきりと申し上げておきます。」(1972年7月6日)

 このように池田先生はご自身に対しても、また創価学会に対しても、さらには創価学会の信仰に対してでも、「いくらでも批判をして良い」と明確に述べられているのです。  ゆえに、会員の已むに已まれぬ声を抑えつけようとする現在の学会本部の行為は、師匠池田先生の御指導に反する根本的に間違った行為であることは明らかです。

 さらに池田先生は、批判を受ける側の幹部に対しては、次のように具体的に御指導されています。

「組織には、自由闊達にものが言える雰囲気が大事である。感情的な議論ではなく、何でも語り合う風通しの良さが、絶対に必要である。会員が意見を言いにくい、重苦しい圧迫感を与える幹部であってはならない。人を抑えつける独善は仏法の精神と正反対である。」(2001・8・19)

「何でも言える雰囲気が大事である。そういう組織が伸びる。 立場が上であるほど、自分から皆の話を聞いて、一つ一つ応えていかねばならない。疲れるかもしれないが、それが指導者の責任であるからだ。  何も言えないような雰囲気では、最低の組織である。」(2005.11.15付聖教新聞、創立75周年記念本部・海外最高協議会でのSGI会長のスピーチ〔上〕)

「学会をよくするためには、どんなことでも、勇気をもって上に言い切っていきなさい。  そして上の人間は、そうした正しい意見をよく聞いていけ!(2007年6月19日開催、本部幹部会・青年部幹部会での指導)

 つまり、幹部・特に最高幹部である本部執行部においては、会員からの批判や厳しい意見に耳をふさぐのではなく、「会員の話を真摯に聞いていくべきである」と明確に述べられています。  この師匠の御指導を根本に組織運営をしていくならば、広宣流布のために「建設的な批判」をする同志の「首を斬る(除名)」という発想自体、思いつくはずがありません。  むしろ本来は、反対意見が出ること自体が本当に有難いことです。意見を言ってくれる会員の声に耳を傾け、互いに率直に語り合う中で、新たな価値を創造し、前進していくことができるのが、本来の創価学会の在り方だと思うのです。

 しかし、現在の原田会長を中心とする本部執行部は臆病と保身に陥り、こうした師匠の御指導を完全に無視し、会員の已むに已まれぬ声や意見にまったく耳を傾けようとしません。  そればかりか声を上げる会員に対して、地元組織の幹部が派遣され、「今後も本部執行部を批判するサイレントアピールに参加するのですか?参加するなら“処分”もありえます。」と、あろうことか「処分」という組織の権力を使って、会員を脅すのです。  挙句の果ては、率先して声を上げている会員を『見せしめ的』に処分し、他の会員に「声を上げると処分が下る」というイメージを植え付ける。これ以上、他の会員が声を上げないようにしてしまうのです。  会員の話を一切聞かず、師匠の御指導も御書も引かずに、ただ「学会本部の決定に従え!」と力ずくで抑えつける。  もはや完全に師匠の御指導に違背しているのです。

 師匠は明確におっしゃっています。 「幹部のための学会ではない。会員のための学会である。断じて、学会員を苦しませてはいけない。  そのためにも、おかしな幹部がいれば、皆で声をあげていくのである。  『学会の指導と違うではないか!』『師匠の言っていることに反しているではないか!』と。  そうやって皆が強く叱咤・激励して、立派な指導者をつくっていけばいいのだ。  『下』から『上』を動かしていけ! ── それが牧口先生のご指導であった。」(2006年10月25日、全国代表者会議)

 どこまでも学会員こそが、創価学会の主役です。本部職員や幹部が主役ではないのです。  そして創価学会は、永遠に創価三代の師匠の精神、思想、実践を原点とし、根本として進んでいく団体です。  日蓮仏法は、「万人が『仏』である」と説いており、創価学会の会長である原田稔氏は、『仏』である会員に誰よりも仕えるべき立場の人間なのです。  その原田会長が、会員の話を聞くこともなく、会員が次々と除名処分されている組織の実態を容認するなど私はあってはならないと思うのです。  本部執行部に対して批判や建設的な意見を言うことは、師匠の御指導にのっとった行為であり、褒められることはあっても、除名処分にされるなど絶対にあってはならないのです。  今、創価学会本部は、かつて宗門が創価学会員をいじめたことと同じことを、心ある学会員に対して行っているように感じてならない。  会員同志に対する「除名処分」や査問、村八分にするといった会員いじめ。これら「会員弾圧」は、創価三代の御指導に照らし、絶対に絶対に間違っているのです。

((下)の『♠4 「創価三代の指導に違背する学会本部」に対する提言(下)』は、既にひとつ前の記事にアップしています。)

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