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執筆者の写真創価学会元職員3名

14「創価新報」の批判記事「青年部員と語る 元職員らの中傷行動について⑤ ~足軽会の存在と結束を何よりも優先~」への反論と事実 パート④

1.元職員3人らは、本部指導監査委員会で「足軽会」の解散を指導された後、中心者であるAが住んでいる地域に次第に移り住み、現在ではおよそ半径100Mの範囲に暮らしている。  彼らの結束は特殊であり、「同窓会」とは全く異質の集まりであり、「足軽会」として強固な結束を今も保ち続けている。

(反論)  今回は小平が説明します。  この内容も、私たちやAさんの実名を上げ“悪のイメージ”を植え付ける不当な誹謗中傷です。  現在、私たち3人やAさんが近くに住んでいることは事実です。しかし、そもそも、誰がどこに住もうが自由ではないでしょうか?  学会本部は私たちを懲戒解雇にし、さらに除名処分にまでして創価学会から追い出しておきながら、今度は創価新報を使って私たちのプライベートまで踏み込み、住居についても誹謗中傷しているのです。  本当に狂っているとしか思えない所業である!  かつて、野口の奥さんである桃子さんが地元の支部長から侮辱された事件で裁判を起こすと、学会本部の副会長を含む4人の弁護士が支部長の代理人に就き、野口の家の前まで偵察に来たこともありました。  しかもその支部長は、本部職員でありながら会員である野口桃子さんたちを「絶対に除名にする」と決め、野口の家の前まで来て「毎晩、車の中で(除名するために)題目あげて」いたことを自ら暴露したのである。  こうした“生活の平穏を脅かす行為”に輪をかけるような今回の中傷記事は、学会本部の「人権感覚の喪失」を自ら浮き彫りにするものである。  社会的にもハラスメントが問題視されている中で、学会本部による人権を侵害するやり方は絶対に許すわけにいかない!  学会本部は「2008年の本部監査」以降、私たちが互いに近くに住み始めたとして問題視しているようですが、そもそも一会員の犠牲の上に、本部職員の問題行動に蓋をするような本部監査が行われなければ、私たちが近くに移り住む必要はなかったと思えてなりません。  それぐらい2008年の本部監査は、本部職員の青年部最高幹部の肩を持つ“問題あり”の監査だったのです。

 川崎学生部の同窓会の『足軽会』は2004年に解散し、監査当時はもう存在していなかった。にもかかわらず、本部監査は、青年部最高幹部の問題に声を上げる私たちを黙らせるために、無理やり私たちを『足軽会』と決め付け、『組織内組織』に認定したのです。  そもそも、この『組織内組織』という言葉自体、定義のない造語でした。  要は、監査委員会が「組織内組織である」と決めれば『組織内組織』に認定できてしまうという、都合のよい『マジックワード』(読む人を思考停止に陥れる魔法の言葉)だったのです。  本当にやり方が姑息で汚いのです。  そして本部監査は、この『マジックワード』である「組織内組織」と、存在しない「足軽会」の名前を悪用して私たちに迫ったのです。 「組織内組織である足軽会を解散せよ!」  「もう互いに連絡を取ってはいけない!」と。  私たちを「反逆グループ(足軽会・組織内組織)」に認定し、互いに連絡させないように徹底して人間関係を引き裂き、一人ひとりを孤立させ、2度と本部職員幹部の不正に声を上げないようにさせたいという本部監査の狙いは明らかでした。

 こうした「力ずくの言論封殺」の背景には、当時の学会本部において、本部職員である某全国男子部長の男女問題や某聖教編集局長らによる金銭横領問題が惹起しており、創価学会の会長が秋谷栄之助氏から原田稔氏に代わったばかりという事情があった。そのようなタイミングで、またしても青年部最高幹部の不祥事が表沙汰になったならば、本部執行部の責任問題へと発展しかねない事情があったのです。  当時、青年部最高幹部が「職員なんだから職員を守れよ」と平然と語っていたその言葉に、不正を隠す学会本部の保身と堕落の風潮が表れていました。  しかし、私はそれを断固間違っていると感じてきました。

 師匠池田先生は以下のご指導を明確にしてくださっています。 「信心の道を進む者は『正義感』を決して失ってはならない。  世間ではよく『清濁併せ呑む』ということが度量のように言われるが、不正、不純を容認し、それに慣れてしまえば、自分自身が濁っていく。そうなってしまえば、本末転倒である。  信仰の世界にあっては“濁”は呑んではならない。そこから、必ず『正義感』を失い、結局は無気力な日陰の人物になってしまうからです。」(新・人間革命第18巻(飛躍の章))と。

 信仰という土台があってこそ、私は本部職員になったのです。その土台である信仰を濁らしてまで、本部職員でいることは間違っていると思ったのです。  結局、私たちは、本部監査の誓約書に従いたくても従えず、誓約を断りました。その罰として、2009年4月1日、創価学会における全役職解任の処分を甘んじて受けました。創価班、牙城会、未来部担当の各種グループもすべて卒業となり、地元でお世話になってきた多くの学会員さんとの関係は分断されました。むろん家族からも距離をおかれるようになっていき、分断されていったのです。  地元の幹部からは「会合に来て欲しくない」「君たちは日顕・山友(山崎正友)のように見られている」と、あまりに心ない言葉もありました。私たちはまさにそれぞれの地元の方々から「村八分」の状態にされたのです。  心ある壮年部の方からは「こういった問題意識を持つ青年たちこそ、今の創価学会には大切な存在だ、組織としてもしっかり対話をして何が真実なのかをはっきりさせるべきだ。」と仰って頂いたこともありました。しかし、そのような声も「本部の決定」という権威によって封殺されていきました。  しかし、この時、一緒に役職解任処分となった私たち3名とAさん、会員同志の皆さんは、『学会本部(本部職員)の問題』という、“『絶対善の創価学会』の組織における『一凶の問題』”に出会ったのです。  以来、私たちは、組織の中で一歩も引かず活動しながらも、三代の師匠のご指導に照らして「おかしい!」と感じる学会本部の実態を、みなで集まって話し合う機会が多くなっていきました。  仕事が終わったその足で、往復1~2時間かけて集い合い、今の自分たちができる行動は何なのかを真剣に話し合い、然るべき職員幹部宛に手紙を作るなどしてきました。 「会合に参加して欲しくない」と言われた私たちにとっては、それが、師匠の精神みなぎる学会本部に戻すために、自分たちに課せられた「学会活動」というべきものだと感じていました。 「自分の目の前で起きた創価の問題を見て見ぬふりは出来ない!」  そう決意した私たちが必死に書いた職員幹部などへ宛てた手紙は、懲戒解雇になるまでの4年半で合計118通、1333枚にのぼります。  さらに私たち3人は、職場では学会本部から神奈川、九州、四国に異動を命じられ、バラバラにされ、孤立を強いられました。  そうした状況に立たされても、わが師匠に誓った「学会本部の変革」のために闘い続けることができたのは、互いに支え合い、励まし合う同志がいたからです。 “我が今世の使命は、広宣流布の核である創価学会とくに学会本部の変革にある” “一刻も早く師匠の仰る通りの『対話の創価』に戻すことにある”  そう確信した私たちは、少しでも早くこの闘いを進めるために、近くに集まるようになっていったのです。  これのどこが間違っているのでしょうか?

 大恩ある創価学会を護りたい一心で決断した私たちの行動を、師匠は、絶対に喜んで頂けると確信しています。  学会本部は、“私たちが互いに近くに住んでいること”を鬼の首でも取ったかのように誹謗していますが、その真意を私たちに聞くこともせずに、一方的に批判記事を繰り返すこと自体、学会本部の狂いの深さを感じてなりません。  私は言いたい!

私たちが近くに住み、共に励ましあいながら戦うようになった原因は、三代の師匠のご指導に反する現原田執行部にある!原田執行部はそのことを自覚すべきだ!  “「足軽会」として強固な結束”をたもっているのではない!と。

 創価を愛し、憂える同志と共に、“師匠の仰る通りの対話の創価に戻す”ために行動することは、創価の未来を拓く行動であると確信する!

 現在、学会本部は、全国で本部の不正や変質に声をあげる会員が急増していることに恐れを抱き、そうした会員を排除しようと画策している。  創価新報を使い、私たちを“得体のしれない反逆グループ”であるかのように貶め、創価変革の同志に“私たちへの不信”を植え付け、私たちとの人間関係を引き裂こうと画策しているのです。  なんと姑息なやり方なのか!  なぜ、堂々と対話をしないのか!  創価新報で何度も嘘を書く時間があるならば、一度でも対話をすべきではないか! 「結合は善、分断は悪」である!  学会本部が恐れているのは、権力の魔性を恐れぬ「一人立つ信仰者」であり、「真の信仰者による『善の連帯』」である!  ゆえに今、創価を憂い愛する同志お一人お一人が、自分の意志で敢然と立つサイレントアピールは、本部執行部にとって最大に驚異の存在なのである! 『組織内組織』との定義なきマヤカシの言葉に恐れることなく!  師匠池田先生を中心とした同心円の『真の同志の連帯』を、さらにさらに築いて参りたい!  ただただ師匠池田先生との誓いを果たすために!

散々暴言を浴びせられ  散々馬鹿にされ   指をさされて笑われてきた

 弟子失格なんだよ!  お前らは破和合なんだよ!  そもそも迷惑なんだよ!  何をやってんだばーか!  消えろよ!  失せろよ!  英雄気取りか気持ち悪りぃ!  おまえ本当にあたま狂ってんじゃねぇのか!

 何を言われようが 何をされようが  私が師に誓ったのは  創価を護る!!  それのみである!  私の人生だ!  私が師に誓った人生だ!  私の人生は私が決める!!  他の誰にも決めさせぬ!

 私が恐れるものは  ただ一つ  師の仰せを守り抜く 自身であるか否か!  師のお心を感じる 自身である否か!  それのみである!

 それ以外は  風の前の塵なるべし!!

 決意していても  そう心に決めていても  何度も何度も 悩み苦しむ自分がいる  不甲斐なくも 涙が出てくる自分がいる  しかし  私は誓ったのだ!  私は決めたのだ!  愛する創価のために!!  大恩ある師匠のために!!

 命ある限り叫び続ける!

 「師匠の創価へ帰れ!!」  「会員のための創価へ帰れ!」と!


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