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執筆者の写真創価学会元職員3名

12「創価新報」の批判記事「青年部員と語る 元職員らの中傷行動について⑤ ~足軽会の存在と結束を何よりも優先~」への反論と事実 パート②

1.「足軽会」の中心者であるAが、足軽会のメンバーに送った長文のメールの中の「足軽を抜けることは絶対に許されない」「(足軽を抜けることを)少しでも認める同志は叩き潰す」との言葉は、“足軽会の固い結束”を強調している。

(反論・後半)  今回も、野口が説明します。  AさんがBさんに送ったメールには、こう書かれています。 「一時倒れた同志を失格だととらえる同志がいたならば、まさにその同志こそ失格であり、皆で足軽を追放せねばならない。そこには人を不幸にする特別意識がある。」と。  実は、これはAさんが、当時活動から離れていたBさんと共に戦うことを諦めかけていた私に対して暗に伝えてくれた言葉です。  「◎11」の(反論・前半)で述べたように、Bさんは仕事で多忙な状況でした。その姿に「仕方がない」と諦める自分がいたのです。もちろん、Bさんとの同志の関係が切れるわけではないと思っていましたし、仕事の状況が落ち着いたらまた一緒に闘えるようになるだろうと考えていました。  当時私は、学会本部の管理局に勤務し、池田先生が世界の指導者と会見されるお部屋や、執務されるお部屋の飾り付けなどをする業務に携わっていました。本部職員の間でも“先生周りの仕事”と呼ばれる特殊な業務でした。  ときに池田先生が地方出張に行かれる際には、私も同行して長期間の出張をすることもしばしばあり、“池田先生関係の仕事をしているから自分は偉い”と勘違いした「特別意識」に侵されている部分があったのです。  そんな私に対し、Aさんはそのメールでこうも伝えてくれたのです。 「たとえ自らを戒めようと、責任をとり会を抜けようとしても皆が認めることはない。また少しでも認める同志は叩き潰す。過去の『恩』を忘れる同志は滅びる。またそんな足軽は間違いなくいない。  例え泥を塗ってしまったと責任を感じることがあったとしても、もうすでにさんざん泥だらけである。誉も高き先生の足軽に泥が付かない弟子などいるわけがない。顔じゅう泥だらけでも、敵だけは見える足軽です。そんな弟子にプライドなどない。」と。  Aさんのメールを読んだ瞬間、Bさんのことを思えていない自分の冷たさを痛烈に実感し、胸が痛くなりました。不甲斐なくも、Bさんが崖っぷちに立たされているということを、このメールを見て、初めて実感したのです。  私はBさんと共に戦ってきた、たくさんの金の思い出がありました。Bさんは、私が「特別意識」に侵されていると感じた時には、すぐに率直に「幹部として上から会合で指導するのではなく、僕たち幹部が率先して自身の人間革命の闘いに挑み抜くことが大切ではないか」と私の本部職員として、また幹部としてのあるべき姿を伝えてくれました。  Bさんと私は大切な同志の関係であったにもかかわらず、私はBさんが仕事で苦しみ、組織から離れ、同志から離れ、信仰から離れていく姿を見た時に、Bさんがなんとしても苦難を乗り越えていけるように真剣に祈り、悩み、対話していく同苦の心が欠如していました。「仕方がない」と諦める忘恩の心があったのです。真剣に友を祈り続ける心を私は失っていたのです。  私はまたしても職員の「特別意識」に侵されていたのです。会員の支えによって成り立っている職員であるにもかかわらず、守られ過ぎるほど守られている環境に甘んじ、私は一人の友の苦しみを我が苦しみとする同志愛が欠如していたのです。一般社会で必死に仕事をされながら闘うBさんの苦しみや葛藤を、私は全く分かっていなかったのです。  ゆえに、「会員に尽くすべき本部職員として、Bさんの人間革命を信じない“諦めの心”は断じて叩き潰すべきである」ことをAさんがメールで伝えてくれたのです。  私自身、仏法に照らし、当然過ぎるほど当然のことだと思いました。  また当時このメールを受け取っていた滝川、小平も、Aさんのメールの真意を深く理解し、その熱き心に涙を流しました。

 Aさんのこのメールは、今、読んでも胸が熱くなります。  このメールがなければ、私が今、こうして「師匠のため」「創価変革のため」に闘っていることはなかったと思えてなりません。  むしろ本部職員として、原田執行部の下で、自分を殺して従順に働き続けていたに違いありません。  Aさんは、実はBさんと同じく私にとっても学生部活動を始めるきっかけとなった大恩ある方でした。  同じ部の先輩であったAさんは、学生部に入ったばかりの私を家庭訪問してくれ、私はAさんのような誠実な人間になりたいと思い、学生部での活動を始めました。  そうした、ある意味で私のことを誰よりも良く知ってくれているAさんだからこそ、その私の中にある“本部職員の特別意識に根差した冷たさ”や同志Bさんに対する“忘恩の心”に対し、「間違った心は、反省しなければならない」と伝えてくださったのです。  同志の苦しみを我が苦しみとし、必死に励ますAさんの行動は、“徹して一人を守り抜く”との師匠の仰せを実践したものであると確信しています。  だからこそ、今や三代の精神に違背し、「人間主義」を忘れた学会本部は、Aさんの『真実の行動』、『正義の行動』、『勇気の行動』を恐れ、意図的に解釈を捻じ曲げて、攻撃し続けているのが実態なのです。

(◎13「創価新報」の批判記事⑤パート③に続く)

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