「嘘は仮面をかぶる。されど、太陽の下に隠るるものなし」
(レオナルド・ダ・ヴィンチ)
創価新報は8月1日付『青年部員と語る』の記事の中で、またしても私たちに一切取材をせずに、私達3名や創価変革の同志であるAさんの実名を挙げて抽象的な内容の中傷記事を掲載している。
また学会本部は、この中傷記事を全国各地の会館で配布し、「元職員3名らは反逆者である」との“悪のイメージ”を純粋な学会員の方々に植え付けようと躍起になっている。
もはや真実など、どうでも良いのであろう。“悪のイメージ”を会員に植え付けることができれば・・・・。
しかし、こうした屈折した行為から、本部が「対話の精神」を失い、“独善的な体質”へと変わってしまったことが見えてくる。
そもそも我々には何の権威も権力もない。
とりわけ、一般社会で働くAさんも何の権威も権力ももっていない。その一般の方を全国版の機関紙で公然と名指しで中傷している「人身攻撃」は、まさに狂気の沙汰である!
むろんAさんは本部が言う、訳の分からぬ「問題グループ(足軽会・組織内組織)」のリーダーなどではない。Aさんは創価学会から除名され、学会員でなくなった今も、ただただ師匠の弟子として信仰の偉大さを体現し、現実社会の中で実証を示し続ける健気な師匠の弟子である。
しかし本部は、ひとたび反逆者と決めたならば、対話を排除し、真実を捻じ曲げて攻撃するのである。
こんなことが許されて良いはずがない!
しかしいかに事実を捻じ曲げ、悪質極まりない誹謗を繰り返しても真実は一つである。そして嘘は必ず暴かれるのが仏法の世界だと確信する!
ゆえに私たちはただただ真実の言論、正義の言論、勇気の言論で、大恩ある創価を変革するために闘い続ける決意である。
断じて、断じて闘い続け、愛する創価を師匠のために取り返す決意である!
以下、今回の創価新報の記事で、反論の必要があると思う箇所を端的にまとめ、反論します。
1.「足軽会」の中心者であるAが、足軽会のメンバーに送った長文のメールの中の「足軽を抜けることは絶対に許されない」「(足軽を抜けることを)少しでも認める同志は叩き潰す」との言葉は、“足軽会の固い結束”を強調している。
(反論・前半)
これまで何度も述べていますが、川崎学生部の同窓会として作った「足軽会」は、本部職員幹部から不要な誤解を受けたため、2004年に解散し、今はありません。
本部はそのことを分かっているにもかかわらず、まるで足軽会が今でも存在しているかのように書いており、極めて悪質です。
そして、創価新報が繰り返し“切り文”で悪用している「Aさんのメール」の意味ですが、このメールは、当時、川崎学生部幹部で仕事の忙しさに悩んでいた“一人の同志Bさん”のために、Aさんが“渾身の励まし”を送ったメールなのです(「ブログ◎5」参照)。
そしてこのメールは、実はBさんに対してだけでなく、Bさんと同じ学生部の組織で、学生部長(野口)と書記長(Bさん)というパートナーを組んでいた私野口に対して、Aさんが真剣に伝えてくれた真心のメールでもありました。
したがって、今回はこのことについて野口が説明させていただきます。
まず、当時AさんがBさんにメールを送った背景事情について、簡単に説明します。
Bさんは当時、川崎栄光県学生部の県書記長という役職でした。人情に厚く、間違ったことにはしっかりと自分の意見を言う真面目で正義感あふれるBさんは、多くの部員さんから慕われていました。
ところが、ある時期からBさんは急に仕事が忙しくなり、深夜の帰宅が続き、学生部の活動が全くできなくなっていったのです。
Bさんは、“学会活動できていない自分は幹部として部員さんに合わせる顔がない・・。”と自分を責め始めました。
そしてとうとう毎日のように連携をとっていた県学生部長の私からの電話にも出なくなり、メールの返信も来なくなってしまったのです。
組織のパートナーであった私の連絡を無視する形となっていってしまったことで、Bさんは余計に自分を責めていくことになりました。そして、ついに誰からの連絡も受け付けなくなり音信不通となってしまったのです。
私はなんとかBさんと会って話がしたいと思い、深夜にBさんの家の前で帰宅するBさんを待ったこともありました。しかし、どうしても会うことはできませんでした。
県書記長(Bさん)が不在となっても組織活動は進めなければならず、やむなく、当時、県副書記長だったメンバーがBさん(県書記長)の代理を務めることになりました。
私の中で次第に、“Bさんの仕事が落ち着くまでそっと見守ることも、Bさんのためなのではないか”という思いが募っていきました。しかし、これはBさんのことを考えているようで、Bさんと共に戦うという思いが薄まっていっていたのです。“Bさんが今の苦境を乗り越え、再び学会活動できるようになること”を、諦めかけていた自分がいたのです。
こうした背景事情の中で、Bさんが学会活動を始めるきっかけとなったBさんの先輩でもあるAさんが、誰よりもBさんの繊細な心の機微を理解した上で、“ひとたび学生部の組織活動から離れたBさんが再び活動に戻って来やすくなるように”との思いを込め、Bさんに全魂込めた励ましのメールを送ってくれました。それが創価新報が切り文だけを掲載しているAさんのメール全体の主旨なのです。
Aさんは、その当時すでに学生部を卒業し男子部となっていました。しかし、後輩のBさんが音信不通となり、学生部の組織から離れてしまっている状況を聞き、苦悶しました。
Aさんは真剣に祈り考えて、Bさんや私、また当時川崎総県学生部書記長であった滝川が同窓会として作った足軽会に入っていることを活かし、足軽会メンバー全員に“Bさんが仕事で活動できない問題は、Bさんだけの問題ではなく、当時の足軽会のみんなの問題ではないか”と一斉にメールを送ることで、皆に問題提起してくださったのです。
本部は、そのメールのほんの一部分である「足軽を抜けることは絶対に許されない」との切り文を都合よく抜き出し批判しています。
しかし、この部分に対してBさん本人が、学会本部に以下のように証言しています。
「(Aさんは)一人戦えなくなっている僕〈Bさん〉の苦しみを全員〈当時の足軽会のメンバー全員〉で共有するため、あえて全員にメールを送り、またそのことで僕を奮起させるためのメールでした。
そういった意味を理解していたので、本文にある、『抜けようとすることを認めない』ということは、僕〈Bさん〉自身が性格的に自分が犠牲になればよいと考えてる傾向があったその僕自身に対し、僕の性格をよく理解しているAさんだからこそ使ったメールの表現です。
このメールは会〈足軽会〉の強制的な意味合いをもったものではなく、私の事を一番よく理解して言うAさんから私に対して、送っていただいた激励の真心のこもったメールでありますし、そのAさんの心をよく知るメンバーだからこそ送られた皆で共有できたメールだと思います。
『自分さえいなくなれば』という事を考えていた僕自身に対して『そうではない』と言ってくれた。
また全員に対して送ってくれたことで僕自身だけの責任ではないとしてくれ、共通認識にしてくれ、また戻ってきやすい環境を作ってくれるためにあえて全員に対して送ってくれた。」と。
当時、Bさんは川崎学生部の組織に出られなくなっていましたが、それでも同窓会である足軽会の繋がりだけは大事にしていたのです。
そのため、Aさんは、そうした状況のBさんの心に届くように以下の内容をメールに書いたのです。
「一時戦えなかったことが生涯の財産となり土台となるのが信仰である。一時敗れたから強くなれる。負けを知らぬ人間などなんの魅力もない。敗れても、敗れても立ち上がりまた挑みつづける姿勢に人格と福運がつくと先生は言われている。
一時負けたならば、次に勝てばよい。次も負けたならその次勝て!と恩師は何度も言われる。なんとしても勝つんだと命令してくださる。あまりにも有り難き恩師である。
例え罪をおかし牢獄にはいるような弟子でも、私の弟子なんだと恩師は言われた。あれほど世界で称賛される偉人が社会の迷惑な弟子も『私の弟子だ』と言ってしまう慈悲は冷静に考えれば普通ではない。こうした恩師のもとに集い広布という志を持つ以上、足軽を抜けることは絶対に許されない。」と。
「足軽を抜けることは絶対に許されない。」とは、すなわち“創価の同志から離れることは間違っていること”また“組織活動から離れることは間違っていること”を伝えているのです。
Aさんは、Bさんが真面目で責任感が強く、『自分さえいなくなれば』と卑下して身を引く性格であることが分かっていたため、足軽会の皆にメールを送る形をとって、暗に「そうではないよ(間違っているよ)」と伝え、Bさんを奮起させようとしたのです。
当時このメールを受け取ったメンバーは、皆、AさんがBさんの苦しい状況から奮起させるために渾身の励ましを送っていることを理解していました。
そして、こうした深く温かなAさんの真心を受け取ったBさん本人は、このメールを、携帯電話を機種変更しても保存し続け大切にしているのです。
足軽会は、いわゆる川崎学生部の同窓会でしたが、皆、“池田先生の精神”つまり“師弟不二の精神”をどこまでも根幹にした繋がりにしようとしていました。 “足軽”とは、“地位や名誉がなくても、真っ先に最前線を走り抜き、師匠池田先生のため、広宣流布のために喜んで死んでいく足軽兵の精神のこと”です。そうした精神を生涯貫こうとの純粋な決意のもと、私たちは皆で「足軽会」と命名したのです(繰り返しますが、足軽会は本部職員から不要な誤解を招いたため2004年に解散しています)。 結局、こうした仲間内のメールの意味あいについては、当然、第三者では判断しづらいゆえに、学会本部は、当事者から話をしっかり聴かなければ正確な判断が出来ないはずでした。 しかし、学会本部はこのメールに対する私たちの説明に耳を傾けることなく、未だにこのメールの意味を意図的に歪曲して捉え攻撃の材料にしているのです。 極めて悪質であると言わざるを得ません。
(◎12「創価新報」の批判記事⑤パート②に続く)
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