1.後輩会員B氏は、“足軽会のメンバーが学生部幹部をしていた当時、何人もの学生部員が、彼らに精神的に追い詰められて、学会活動に出られなくなるなどの被害にあった”との事例を見聞きした。
そのため、方面の幹部に報告・相談したが、B氏と同じ地域の先輩であった滝川清志らが、“B氏が幹部に告げ口した”として逆恨みし、B氏を呼び出し、責め立てた。
(反論)
今回の創価新報では、名指しで攻撃されている私滝川がお答えします。
今回も、いつの、何の話かも分からないような話を突然持ち出し、まるで私や野口、小平が強圧的な人間であるかのような“イメージ戦略”に躍起になっている。
まず、今回登場した「後輩会員B氏」ですが、まるで役職のない一会員であるかのように書かれていますが、全く違います。この人物は、今から14年前の平成16年以降「暗黒時代」発言を繰り返した本部職員の和歌山(仮名)川崎総県学生部長と共に行動していたメンバーで、当時、川崎総県書記長という立場のある幹部だったのです。いわば和歌山氏の女房役がB氏です。
B氏は、私と同じ地域に住む3つ下の後輩で、大学生時代は一緒に地元学生部で活動してきました。
しかし、本部職員の和歌山氏(仮名)が、先輩本部職員の青年部全国幹部ら(西口尊雄全国学生部長、田代貞治東海道方面学生部長)から『川崎学生部の正常化』なる指示を受け、川崎に引っ越し川崎総県学生部長になった際に、なぜかB氏が川崎総県書記長に抜てきされたのです。
それ以前のB氏は、仕事が忙しく分県副書記長という役職でしたが、ほとんど会合には出られず、日々の組織活動もできていない状態でした。それが突如、飛び級で総県書記長に任命されるということは異例の人事でした。
もともと内向的で上の役職の人間に対して意見を言えるような性格でなかったB氏は、職員で青年部最高幹部の西口尊雄氏、田代貞治氏らが語る「川崎総県学生部幹部の派閥化問題」なる作り話を鵜呑みにしていきます。
そして、川崎総県学生部長となった本部職員の和歌山氏が、1000人規模の会合の場で、「Aは暗黒時代を作った人間だ」「川崎学生部の前体制は暗黒時代だった」と叫び、一会員であるA氏を名前を挙げて何度も何度も誹謗していった際に、B氏は和歌山の暴走を止めることが出来た立場(役職)にいたにも関わらず、ただ傍観してしまったのです。
和歌山氏やB氏、そして佐賀氏(仮名)が学生部を卒業し、男子部に移行すると、職員で東海道方面男子部長であった藤井清孝氏が一連の問題を解決するために川崎文化会館に関係者を集めて話し合うということがありました。
その場には私や野口、そして上の世代である小平、Aさんも参加し、B氏も参加していました。
ところが、その場でB氏は、和歌山らが会合の場で繰り返し行なった『前体制は暗黒時代だった』との同志誹謗の発言に対し、「賛同している」と述べたのです。B氏が言うには、「前体制のメンバー(私や野口)によって、被害を受けた学生部員がいるから」とのことでした。
しかし、B氏の話は、被害を受けたという学生部員の名前は言わず、いつ、どこで、誰が起こした出来事なのかさえ不明な話ばかりでした。
すなわち私や野口には全く身に覚えがないか、誰のことなのか見当はついても著しく事実が歪曲された内容になっているか、そのどちらかでした。
ともあれ私は被害にあった学生部員がいるというのであれば、直接本人から具体的な話を聴き、もし自分が学生部員を傷つけてしまっていたのであれば、直接本人に謝りたいと思いました。また、もし何かしらの誤解があるのであれば解かせてもらいたいと思いました。
私はB氏に、「B君が『暗黒時代』との同志誹謗の行為に賛同していることや『学生部員の被害事例』について詳しく話を聴かせてほしい」と提案しました。するとB氏も「滝川さんと話したいです」と応え、後日、会うことになりました。
この点、創価新報では、“「B氏が幹部に告げ口した」として、滝川が逆恨みしてB氏を呼び出した”と書かれていますが“全くの嘘”であることがお分かり頂けると思います。
2.滝川は、後輩会員B氏に対して、約3時間にわたって一方的に謝罪を迫ったり、他の足軽会メンバーとも面談したりするよう要求した。
また、自分が職員や幹部であることを誇示して威圧し、謝罪の意思を見せないB氏に対して“君を潰す”などと脅した。
このように彼らの“対話”とは、相手の主張などおかまいなく、彼らが批判・攻撃の対象とした相手が、彼らに屈服・謝罪するまで徹底して攻撃するという威圧行為にほかならない。
(反論)
私とB氏との話し合いは、お互いが予定を調整し双方合意のもと、2008年2月3日と2月10日の2回行ないました。
しかし、どちらの場でも、私が『3時間にわたって一方的に謝罪を迫った』ことはありません。
そもそも創価新報は私に一切取材をしていません。結局、私を陥れることを目的に記事を書いているのです。事実を正確に書くのではなく、B氏とのやり取りを捻じ曲げて“嘘の作り話”で私を攻撃しているのです。
こうした嘘の記事で学会員の目をあざむこうとする“会員をバカにする行為”、が今の創価の実態としてあるのです。断じて許せない!
B氏との1回目の話し合いは、大雪のため学会の全ての会合が中止となったことから、お互い都合を合わせて行ないました。
私とB氏は、どこまでも共に地域広布に力を尽していこうと友好的に話し合いました。
その中で、本部職員の和歌山氏(仮名)が会合の場で繰り返し行なった「Aは暗黒時代を作った人間だ」「川崎学生部の前体制は暗黒時代だった」との同志誹謗・破和合僧の行為は不特定多数の学会員さんに不信を植え付け、「同志の分断」に導くものであり、絶対に間違っていることを伝えました。
そして、当時川崎総県学生部書記長という役職であったB氏が総県学生部長の和歌山氏の悪行を止めるべきだったのではないか、ということも伝えました。
このときB氏は素直に“『暗黒時代』と言って同志を誹謗した和歌山氏の行為が過ちであった”ことを認めました。そして、私に「謝ります」と頭を下げ、謝罪までしたのです。
真摯に受け止めるB氏の姿に感動し、私は提案したのです。
“和歌山氏の「暗黒時代」発言に声を上げていた私以外の「前体制」メンバーに対しても、「『暗黒時代』と同志を誹謗する行為は自らの過ちであったと思った」と伝えてもいいのではないか”と。
なぜなら、上述「1.」の川崎文化会館での対話の際、B氏が“和歌山氏の「暗黒時代」発言に賛同している”と述べたことで、「前体制」メンバー(B氏の先輩にあたる)は皆、B氏を心から心配に思っていたのです。
B氏は、視線を落とし黙ったあと、「考えます」と静かに答えました。
ところが、一週間後の2月10日、B氏と再び会うと、「やっぱり、『暗黒時代』という表現は間違っていない」と語り始めたのです。
一週間前の話し合いでは、“『暗黒時代』発言が過ちであること”を認め、「謝ります」と言っていたのが180度変わってしまったのです。
私は本当に驚きました。
なぜ、わずか1週間で態度が真逆に変わってしまったのか。本当に理解に苦しみました。
私はもう一度B氏に誠実に話しました。
「職員の和歌山らが、3年間にわたり『川崎学生部の前体制は暗黒時代だった』との同志誹謗を会合の場でさんざん繰り返した結果、川崎や神奈川の組織だけでなく、職場でも『(滝川らは部員さんに)暴力をふるった』『(滝川らは)会長に反逆した』との噂話が広がっている状況があるんだよ。」
「前体制の幹部であった私や多くの会員さんたちは、地元幹部に不信の目で見られ監視されながら学会活動しなければならない状況となっているんだよ。」
B氏の目を真剣に見つめ、私は、和歌山氏の同志誹謗の毒が組織中に蔓延し、その結果、多くの会員同志が苦しい状況に追い込まれていることを必死に伝えました。
しかしB氏は頑なに「暗黒時代発言は間違っていない」と言い張ったのです。
“B氏は問題の重大さをまったく理解していないのではないか”
そう感じた私は、本部職員の和歌山氏らが組織中に「前体制は暗黒時代だった」と広めたことがいかにおかしいことかを伝えるために“例え話”をして伝えました。
「僕も和歌山氏と同じ本部職員だ。
例えば、僕が職員という立場を使って、『Bは破和合の行為をしたおかしい人間だ』と言って、組織中にB君の悪口を広めたならばB君は苦しいよね。B君を潰すことにもなりかねないよね。
本部職員の影響力はそれほど強大なんだよ。
つまり、本部職員の和歌山氏たち幹部がやったことはそれと同じぐらい重大な問題なんだよ。だから、絶対にやってはいけないことなんだ」と。
私は職員和歌山氏の行なった同志誹謗の行為が、どれほど常軌を逸していることなのかを必死に伝えようと思ったのです。
しかし、結果的に、“B君を潰すことにもなりかねない”といった過度な表現を使ってしまいました。ゆえにその点については、私はB氏に率直に謝罪をしました。
私自身、凡夫の中の凡夫なので、失敗も欠点もたくさんあります。しかし、「素直さ」と「誠実さ」だけは生涯貫く覚悟です。
重要なことは、その2カ月後、2008年4月に始まった本部指導監査委員会の場で、B氏自身、正式に「暗黒時代」と同志を誹謗した行為が誤りであることを認め、学会本部に謝罪文を提出しているということです。
さらに重要なことは、学会本部は、本部職員の和歌山氏と公明党職員の佐賀氏が、1000人を超える会合の場で、一会員であるAさんの名前をあげて、「Aは暗黒時代を作った人間だ」「川崎学生部の前体制は暗黒時代だった」と誹謗中傷した問題(事実)に対して、以下の結論を出している点です。
<学生部幹部会等の公の場で『暗黒時代』なるレッテルをはって先輩・同志を批判することは、その後の組織への影響を考慮せず、人を傷つけることになり、心から反省すべきである。そして関係者へ謝罪の意を表すべきである。>
<不適切な発言により関係者を傷つけたことを謝罪し、二度と行わないように誓約書を提出すること。>
それにもかかわらず、学会本部はこうした事実についても全て分かっているはずですが、創価新報では一切公表しません。
繰り返しになりますが、当時、学会本部が本部職員の和歌山氏と公明党職員の佐賀氏に心から反省すべきであると結論を出しているのです。
学会本部が公平・中立であるというのであれば、本来、関係者にきちっと取材をし、事実をすべて包み隠さず公表すべきは当然である。
しかし、それをせず、人を攻撃するためだけに情報を断片的に使い、または捻じ曲げて誹謗中傷。
やっていることが本当に汚い!
結局、原田現執行部は、自分たちが正しくないことを、実はよくよく分かっているのです。
彼らは、本当は大事にしなければならない話し合いを軽視し、自分たちが創価三代の師匠の信仰の魂である「人間主義」の思想と精神から逸脱していることを分かっているのです。
だから、自分たちの間違いを指摘されることを極度に恐れ、師匠の仰せを胸に勇気の声を上げ、指摘してくる正しい弟子を迫害してくるのです。
ゆえに、彼らが会員を弾圧すればするほど、彼らのおかしさは満天下に証明される!
ゆえに、
学会本部からの処分、除名を恐れる必要があろうか!
もっとも恐れることは
己を偽り 己を誤魔化し
偽善者として振る舞うことではなかろうか
難をさけ
迫害を恐れ
師の内なる声を捨て
わが身を護る己こそ
最高最大にして
最も恐れる姿である!
成仏とはどこにあるのか
外ではない!
内である!
正義を愛し!
迫害を恐れず!
師の内なる声に向き合い
誓いを守る人生にこそある
誓願に生き抜く己の心にこそあるのだ!
小さな自分を乗り越えた
大我の道にあるのだ!
ならば
断じて恐れてはならない!
恐れる小さな自分を乗り越え!
私は師弟の道を生き抜く!
迫害こそ成仏への第一歩なり!
三世に渡る偉大な功徳なり!
と歓喜の題目を師匠と共に上げながら!!
「いかなる事ありとも・すこしもたゆむ事なかれ、いよいよ・はりあげてせむべし」(兵衛志殿御返事・御書1090頁) いよいよ、原田現執行部の悪をはりあげて責める時である! 断じて、断じて、責め抜く時である!
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