5月2日(水)付の創価新報で、3回目となる私たちへの『中傷記事』が掲載されました。
今回は、「総県長会議での志賀全国男子部長の話から(要旨)」ということで、先月4月13日に行われた全国総県長会議で志賀男子部長が実際に話した話の要旨が掲載されました。
当事者である会員の話を一度でも聞けばここまでの問題にはならなかったにもかかわらず、執行部は青年部である全国男子部長までも利用して私たちを中傷させている。本部職員であり、部下でもある青年部を使い、私たちと話したこともない男子部長が私たちを公の場で批判する。自分は隠れて、部下に批判させるこのやり方に、原田会長の実態が露呈していると思えてなりません。原田会長に言いたい。一度で良いから、一度で良いから、対話をして頂きたかったと。
以下に、「総県長会議での志賀全国男子部長の話から(要旨)」の内容で、反論すべき個所を端的に要約して、それぞれ反論します。
1.記事のタイトル・小見出しに『学会中傷のグループ』『組織撹乱(かくらん)狙う』『破和合僧の輩(やから)』などの言葉を使っていることについて
(反論)
この記事は、本部で行われる総県長会議で語られた内容とのことですが、これらの一方的な言葉を見て、正直、悲しくなります。
対話をせずに、攻撃。
対話をせずに、総県長会議という創価学会の首脳が一堂に会する場で誹謗中傷。
『対話の創価』は一体どこに行ってしまったのか。私たちは対話をしてもらえるなら何処にでも赴く思いである。
反論するまえにここだけは確認させてもらいますが、私たちは、『創価学会』を『中傷』していません。
繰り返しになりますが、『創価学会』は三代会長が命がけで築きあげた稀有の民衆城だと思っています。
私たちは一貫して、創価三代の師匠の思想と精神に違う『原田現執行部』に対し、創価の対話の精神に則って「今の執行部は師匠の言われていることと違うのではないか。なぜ会員を不当に弾圧するのか。」と言ってきました。
『実名告発・創価学会』にも書きましたが、私たちが本部執行部に声を上げた発端は、現場の会員さん(男子部)が本部職員(実際には公明党職員も含まれます)によって不当な扱いを受けていたことにあります。また、私たちが解雇された際も、支部長を務める本部職員が現場の会員さん(女子部)を侮辱しただけでなく、除名にまで追い込んだのです。
“本部職員幹部の言うことを聞かない会員は処分・除名する。”
埼玉の壮年Aさんに対する処分にも共通しますが、このやり方は、今も変わっていません。
どこまでも私たちが叫んできたのは、「今の学会本部、なかんずく執行部のやり方は師匠が仰っているやり方とは違うのではないか!」、この一点で私たちは原田執行部に対して強く『抗議』をしているのです。
『学会中傷』とのタイトルも、「執行部への抗議」を「学会中傷」とすり替える誤魔化しです。三代が築いてきた「創価学会」を中傷することはあり得ません。なぜなら、三代が築いてきた、民衆のための創価に戻らなければならないと思っているからです。
私たちが行っているのは、本部執行部の問答無用に会員を処分するやり方がおかしいと『抗議』しているのであり、根拠なく悪口を言う『中傷』とはまったく違うものです。
繰り返しますが、原田現執行部は今般3月19日、安保法制を推進する原田執行部に「三代の仰せに反するのではないか」と抗議していた埼玉の壮年Aさんを、「執行部批判」という理由にならない理由で「除名処分」にしました。
創価に尽くし抜いてきた功労者を簡単に除名にできてしまう原田執行部の『悪の行為』は明らかに間違っているのです。悪を責め抜き、三代の師匠の精神が脈打つ本部執行部へと変革していくことは、清浄な創価を保つ池田門下の使命であり、当然の責務ではないでしょうか。
また『組織撹乱』『破和合僧』とのタイトルについてですが、記事を読んでも内容が抽象的で、まったく意味が分かりません。
総県長会議という重要な会合で、このように具体的事実(根拠)を語らずに、抽象的な話で私たちを悪者に仕立て上げるのです。
しかも今回の記事は、3月21日と4月4日に創価新報に掲載された私たちに対する批判記事と同じ内容で、しかもさらに抽象的に書かれています(今回の批判記事の内容への詳細の反論については、「◎1」と「◎2」のブログですべて説明していますので、ご覧ください)。
むしろ『創価新報』の方こそ、私たちに対して何らの取材もなく、何らの客観的な根拠も示さず、私たちに対する『中傷』を繰り返しているのです。
私は思うのです。その行為こそ、『正常な学会の組織を攪乱』する『破和合僧』の行為ではないのかと。
メディアの使命は「真実の報道」にあります。取材もなく、根拠も示さない偏頗な報道を繰り返すことこそ、それこそ『中傷』行為ではないでしょうか。
また、自分が偉いと勘違いしている本部職員の特権意識に声をあげ、私たちは即日懲戒解雇されました。そして私たちには何もなくなりました。社会的な地位もお金もありません。そんな私たちに対して、これだけ『創価新報』が批判記事を出し続けている。
私はそうした偏向報道に『学会本部』、特に『原田会長を中心とする本部執行部』に、やましい思いがあると思えてなりません。
原田現執行部は、これ以上、『会員の真実の声・怒りの声』が上がってこないように、必死に「私たち3名」及び「創価変革の運動」に“悪印象を植え付けるレッテル”を張って攻撃してきているように感じています。
「私たち3名」を攻撃することで、『本部のやり方に声をあげたら攻撃するぞ!』と間接的に学会員さんに伝え、今の組織のやり方に疑問を持つ会員さんが声を上げないようにしていると感じるのです。
そして、本部執行部に批判の声を上げさせないようにして、自分たちの思い通りに学会を運営したいのだと思えてなりません。
師匠は、明確に言われています。
「幹部のための学会ではない。会員のための学会である。
断じて、学会員を苦しませてはいけない。
そのためにも、おかしな幹部がいれば、皆で声をあげていくのである。
『学会の指導と違うではないか!』『師匠の言っていることに反しているではないか!』と。
そうやって皆が強く叱咤・激励して、立派な指導者をつくっていけばいいのだ。
『下』から『上』を動かしていけ! ── それが牧口先生のご指導であった。」と。
師匠のご指導に照らせば、「執行部批判」など、理由にしてはならない理由で埼玉の壮年Aさんを除名にしてしまう原田現執行部がおかしいことは明らかです。
耳が痛い意見を言う人間を排除していく組織は滅ぶことは歴史が証明しています。
『下』から『上』を動かしていけ!
悪い人間はすべて会から叩き出し、正常な学会本部を取り戻していくことは、池田門下の使命であり、責務であると確信しています!
2.元職員の小平、滝川、野口は、今、盛んに学会中傷を目論む一部マスコミとも結託して、動きを活発化させている。
(反論)
ここでも、まるで私たちがマスコミと連携して、『創価学会総体』と『学会員の皆さん』を攻撃しているかのように事実と異なることを書き、『学会員の皆さん』に私たちへの不信を植え付け、私たちと『創価学会員の方々』との関係を引き裂こうとしています。
何度も繰り返していますが、私たちは『創価学会総体』と『学会員の皆さん』を中傷した事実はありません。私たちが抗議しているのは、創価三代の師匠の思想と精神に反している「原田現執行部」であることは繰り返し述べている通りです。
別の個所で、「マスコミ等の目を引こうとして苦し紛れに政治問題を利用して」とも書かれていますが、そのことについては既にブログ「◎2の2」でご説明したとおり、全く根拠のないものです。
私たちに対する取材は、大手のマスコミだけでなく、むしろ個人ジャーナリストや、ラジオのパーソナリティ、宗教学者の方々など、非常に多岐にわたっています。
取材に来られる方々は、原田現執行部が、本来の池田名誉会長が訴えてこられた創価学会の理念や方向性とは真逆に進んでいることを不思議に思い私たちに取材を申し込まれているのです。一般の方々でさえ、今の創価を不思議な目で見ているのです。『国家主義』を助長させるような『安保法案』や『共謀罪法』などの法律の成立を積極的に支持し、推進していることが不思議なのです。また、会員さんもそのような創価の実情に心を痛め、私たちに連絡をくれる方が多いのです。
また私たちは、取材を受ける際には、“創価学会の批判をするための取材”ならば受けないと伝えています。
私たちはあくまで“創価学会をよりよくしていきたい”との思いであることを伝え、必ず取材される方にその趣旨を理解してもらうようにしています。
これらの事実も、全く私たちに確認することもなく、創価新報の記事は私たちを批判しています。
私は疑問に思うのです。本当に創価の真実を知ってもらいたいと考えているのは、どちらなのか。『破和合僧』の行為を行なっているのは誰なのか?と。
たしかに、インターネットやマスコミは、根拠もないことをあたかも真実であるかのように書いたりすることもあります。私たちも、真実を知らない方からネットなどで心ないメッセージをもらうこともあります。
だからこそ、私たちは、自分たちの話が“真実であること”を分かって頂きたいと思い、実名を名乗り、ブログを開設し、実名で学会本部変革の活動をしているのです。
『今、盛んに学会中傷を目論む一部マスコミ』と、私たちが、学会中傷を目的とするマスコミと結託しているかのように仕立て上げるやり方には、公明党が長年与党でいたことで権力を手に入れた学会本部の傲慢さを感じてなりません。
「ネットはダメ」「マスコミはダメ」、なのではなく、何が真実かをお一人おひとりが見極めていくべきだと思うのです。
今回の私たちに対する批判記事は、私たちの話を信用させないように、私たちと悪意のあるマスコミとを結び付けるものであり、私たちに対する不信感を植え付けようする目的でつくられているとしか思えません。
(「4 パート2」へ続く)
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