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執筆者の写真創価学会元職員3名

第7 一度も話を聞かない原田会長の対応と学会本部の実態(H20.7~H22.7)

「人生とは、限りある命の時間との闘争である。使命を果たさずして、人生の価値はない。志をつらぬかずしては、いかに自分を正当化しようが、あとに残るのは空しさと悔恨である。」(名誉会長指導)


「何が確実といって、『死』ほど確実なものはない。だから、今、ただちに、三世永遠にわたる『心の財』を積むことです。その一番大事なことを『あと回し』にし、『先送り』して生きている人が人類の大半なのです。」(名誉会長指導)


命の時間には限りがある

誰人も死ぬことからは逃れられない


正義の使命を果たし抜いた人生なのか

志を貫かず、空しさと悔恨を残す人生なのか


いかなる人生を生きるかは

己次第である


死は 平等にすべてを明らかにし

正邪を明確にする

死は 生に光を与え

勇気と臆病をうつし出す


死の前では 

他人は誤魔化せても 己は誤魔化せない

己は誤魔化せても 妙法だけは絶対に誤魔化せない


ゆえに君よ!

生きるとは 

ひとたび立てた我が志を

貫けるかどうかという 

己との闘争なのだ!

間断なき己との闘争なのだ!!


 平成22年5月、小平、滝川、茨城氏はすでに地方に異動となり、一人学会本部に残った野口は、何としても原田会長に一度話を聞いて頂き、再監査をお願いしようと決意する。

 平成20年4月の本部指導監査委員会以降、これまで原田会長には3度に渡り手紙を書いてきた。しかし、話を聞いて下さることはなかった。


■ これまでの原田会長の対応


 はじめて原田会長宛てに手紙を書いたのは、本部指導監査委員会の結論が出されてから約1か月後の平成20年7月2日である。

 本部指導監査委員会の面談では“誓約しなければ除名もある”と脅され、職員の不正を隠し会員を犠牲にする誓約書の提出を迫られていた。

 職場からは「誓約書を書かなければ辞表をもってこい」と辞職を迫られ、地元組織の職員である福井総県長からは、“監査委員会はそういう場所なんだ。とにかく誓約すれば終わるんだ”との理不尽な説得を繰り返されていた。

 しかし、諦める訳にはいかなかった。一度で良いから原田会長に話を聞いて頂き、そして何とか再監査をお願いしたい。その思いを手紙に綴り、職員である福井総県長経由で、原田会長にお渡ししたのである。

 その2日後、監査委員によって会長からの返答が伝えられた。

 「再監査の必要は無いと判断しました。」と。


 そして7月22日、名誉会長が不参加の職員全体会議で原田会長は、「最近、若手職員のなかで、組織の中心者の指導を聞かず、職場の上司の忠告も聞かない者がいます。」と発言する。暗に誓約しない私たちを非難する。

 その3日後の7月25日、本部人事委員会は、誓約しない私たちに対し、地域組織での活動の謹慎処分を下す。理由は、「経緯はどうあれ学会本部の提示した誓約書を書かなかった」であった。

 「誓約しないこと自体が問題」。もはや、誓約書の内容の当不当は関係なくなった。問題はすり替えられてしまい、地元組織では誓約しない会員たちが問題を起こしたかのような偏見が広がっていった。


 何とか原田会長に真実を理解してもらいたい。何よりも直接話を聞いて頂きたい。そして、何とかもう一度監査をして頂きたい。役職の高さで話の信用性を判断するのではなく、公平厳正に判断してもらいたい。

 原田会長からは、再監査の要望には応じないとの返答をすでにもらっている。しかし、もう一方で、7月22日の職員全体会議の中で会長は以下のように発言する。

 「誰もが何でも気兼ねなく意見する、意見できることは大事です。私にも何なりと自由に言っていただきたいと、心から思います。」と。

 この言葉を聞いた時、会長は現場で活動する若手職員の意見を汲み上げようとされているのだと感じた。

 原田会長が再監査を断られたのには何らかの誤解があるのではないか。その誤解を解くためには、自分が何を伝えたいのかをもっと具体的に書く必要があったのではないか。もう一度手紙を書いてお渡ししよう。


 2通目の手紙には、本部指導監査委員会の監査の進め方や結論、誓約書の内容に対し、自分たちがおかしいと感じていることを詳細に書面にまとめた。そして、会長が「間違っている」と思われたことがあれば率直に、その理由を聞かせて頂き、自身の人間革命に挑んでいく決意を綴ったのである。一度でいいので話を聞いて頂きたいと。


 平成20年9月19日の昼休み、学会本部前の通りで小平は原田会長に声を掛ける。緊張で声を震わせながら、「このたびは組織の問題で様々ご迷惑をおかけし申し訳ございません。」、「一度会長に直接、お話を聞いていただきたいとの思いで、お手紙と書面を作って参りました。よろしくお願いいたします。」と、2度目の手紙を差し出す。

 会長は、「了解、わかりました」と手紙を受け取ってくれた。

 本当に嬉しかった。手紙を読んで頂ければ、真実が伝わると思った。


 必死に祈りながら会長からの返答を待った。しかし1ヶ月待っても何の連絡もなかった。

 会長が多忙を極めていることはもちろん分かっている。

 しかし、地元の組織では不当な監査の結論を経て、謹慎処分の状態に置かれている会員たちがいる。何とか、一刻も早く、会長に話を聞いて頂きたい。

 もう一度手紙を書くかどうか悩んだ。2通目の手紙に対し返答が無い中で、3通目の手紙は厚かましいのではないかとも思った。

 しかし、会員たちに対する仕打ちを理解して頂くことがどこまでも最優先であると思った時、諦める訳にはいかなかった。もう一度、原田会長に手紙を書くことを決意する。

 3通目の手紙には、

 「もとより、誓約したくないなどという思いは毛頭ありません。間違った行いがあれば、誠意をもって謝罪したいと心から思っております。ただ、職員が組織の立場を使って多くの会員さんを傷つけてしまった出来事について、十分に話を聞いて頂けないまま判断がなされてしまったのです。『真実なんて分かるものじゃない』と話されるその判断に、どうしても誓約、すなわち生涯、誓い約することができないのです。どこまでも誠実に生きていきたいのです。」

と書き綴る。

 平成20年10月22日の昼休み、滝川と茨城氏は3通目の手紙を携え、原田会長に渡しに行く。普段、会長に接することはほとんどない。声を掛けるのも緊張する。

 滝川は、学会本部前の通りで原田会長に声をかける。

 そして手紙を差し出し、精一杯、「お時間を少しでも構わないので、一度お話を聞いて頂けないでしょうか。」と伝えたのである。

 原田会長は立ち止まらない。歩きながら手紙を受け取り、そしてこう言った。

 「こんなことばかりやってないで、先輩の言うことを聞きなさい。」と。

 そして足早に去っていった。

 滝川は、その会長の後ろ姿に向かって、勇気を振り絞り「宜しくお願いします!」とお伝えし、頭を下げた。


 苦言は呈されたが、手紙はしっかり受け取って下さった。

 家に帰るとすぐに題目をあげる日々が続く。何とか、何とか原田会長に真実を知って頂きたい。短時間でもいい。一度、話を聞いて頂き、誤解があるならば解かなければならない。

 しかしその10日後の11月2日、神奈川文化会館で私たちが謹慎処分の期間延長を言い渡される際、神奈川執行部は私たちが会長に渡した手紙を提示し、その内容について咎めてきたのである。

 私たちが原田会長に手渡したその手紙は神奈川幹部に回っていたのである。

 会長からの無言の返答であった。

 こんなことがあっていいのか。本当に苦しかった。

 会長が言っていた、「私にも何なりと自由に言っていただきたいと、心から思います。」との言葉を思い返し、悔しさに体が震えた。


■ 野口、滝川が原田会長へ面談のお願いに行く


 平成22年5月、私たちが原田会長に渡した手紙が神奈川幹部に回っていた出来事(平成20年11月2日)からすでに一年半が経っていた。

 この間、誓約できなかった会員4名は役職解任となり、謹慎の身ではなくなった。しかし、それぞれ地元組織でレッテルを貼られ、会合の連絡はなくなる等、不当な扱いを受け続けていた。

 京都氏は、監査の誓約書において「組織内組織」(グループ)の中心者であるとされ、地域組織では「会長に弓をひいた」人間であるとして反逆者扱いされていた。そして、会合の連絡はなくなっていた。

 兵庫氏は、地域の学会員から「地元の地区では上の幹部から、『彼ら(兵庫たちのこと)を励ましてはいけない、人材育成してはいけない、できれば声をかけてもいけない』と言われている」と驚くべきことを伝えられていた。そして、会合の場で発言させてはならないと徹底されていた。

 木本秀信氏は、未来部の担当や聖教新聞の代配、公明党員など積極的に活動に取り組んでいた。しかし解任後、所属男子部の部長から、「本部長と一緒であれば会合に参加してもよい」と伝えられ、男子部からの連絡は無くなった。

 島根氏は、職員の和歌山総県学生部長が会合の場で卒業していった先輩幹部等を誹謗中傷する行為に対し、最初に声を上げた会員である。しかし、その後、自分が折伏した友人から、「島根の話は半分聞いておけばいいと先輩から言われた」と伝えられ、無視をされるようになり、その無視は地元の男子部組織にも広がっていた。


 こうした問題を何とか解決するために、考えられ得る然るべき方々に話を聞いて頂きたいとお願いしてきた。しかし、どなたも話を聞くことはなかった。

 その中で最高幹部の方々は皆、口を揃えて「会長が責任者なんだから会長のところに行きなさい!」「何度でも行きなさい!」「会長に言いなさい」と繰り返すのである。


 野口は一人本部に残った意味を考え、悩み葛藤していた。原田会長はこれまで3度も自分たちの手紙を受け取りながら、話を聞くことを断っている。この期に及んで自分の話を聞いてくれる可能性は低いのではないか。

 原田会長にもう一度話を聞いて頂くことをお願いすることが本当に一番良い選択なのか。それよりも、会長の理解を得るためには、まずは仕事で信頼を得ていくべきではないか。いや、それはただ逃げている。必死に題目をあげた。


 その頃、本部を離れても九州や神奈川、広島で孤軍奮闘する同志は、日々、職場の信頼を勝ち取る地道な戦いをメールで伝えてくれていた。

 本部の食堂に一人で座る野口は、会長の後ろ姿を見ると、これまで感じたことのない恐怖を感じた。今まで共に題目をあげ、共に励まし合える同志の存在の大きさを、あらためて実感したのである。

 今、自分が、ここで一人立たなければ、不当な扱いに苦しむ会員たちの無実を証明することは絶対に出来ない。臆病で不甲斐ない自分を絶対に乗り越えたい。

 たった一度、たった一度でいい、原田会長に会員たちが不当に扱われている実態を聞いてほしい。

 原田会長に、偏頗な監査の結論により、純粋に地域組織で戦ってきた会員たちが反逆者扱いされている実態を知ってもらいたいと心から思った。一度も話を聞いてもらえない中で、原田会長に判断されることは、本当に苦しい。

 会長に誤解があるならば、真実をお伝えし、その誤解を解きたい。そして、学会本部の結論が、職員の不正を隠し、会員を犠牲にしている不正であることを、勇気を出して伝えなければならない。本部にいる意味を果たすんだ!


 野口は原田会長に手紙を書くことを決意する。本部の不正を隠す実態、そして話を一度も聞いてもらえない本部執行部の実態を手紙に書いたのである。


 平成22年5月6日、緊張で眠れぬまま朝を迎えた野口は、就業時間前、手書きした手紙を携え、一人事務所内の原田会長の席を訪ねた。

 足の震えをこらえながら会長の前に立ち、「会長にどうしてもお伝えしたい事があり、手紙をお渡ししにきました。お願いします。」と手紙を差し出した。

 すると原田会長は、表情を厳しく変えた。

 「あなたのしてきた事を振り返りなさい!今日は受け取りません!」と。

 そのまま野口に背を向ける。

 野口は、「会長、お願いします。」と呼びかける。

 しかし、会長は一切振り向かない。

 こちらを向かない会長に野口は立ち尽くす。結局、手紙は受け取ってもらえず、その場をあとにせざるを得なかった。


 原田会長が言う、「あなたのしてきた事を振り返りなさい!」とは、どの場面の、どの行為を指しているのかが分からなかった。

 本部指導監査委員会が取り上げた問題は、本部職員による不正人事から始まる一連の問題であり、約6年にも渡る出来事である。それを単に、「振り返りなさい」とだけ言う会長の対応に、理解ができなかった。

 しかし、自分は原田会長を前にして、その場ですぐに“どの行為を指しているのでしょうか”とは聞き返すことができなかった。その臆病さが情けない。

 帰宅後、必死に題目をあげた。あげればあげるほど、このままでは終わってはいけないと思えた。

 会長にお伝えしたいことも、会長から聞きたいことも、何一つできていないではないか。このまま終わりにしては本部にいられる意味がない。

 やはり、もう一度行き、まずは手紙を受け取ってもらわなければ何も進まない。野口はもう一度行くことを決意するのである。


 週が明けた5月11日の昼休み、野口は再び手紙を持って原田会長の席へと向かった。胸中で題目をあげながら前に進んでいく。

 会長の席で挨拶する。

 「会長すいません、今お時間よろしいでしょうか」

 その瞬間、原田会長の顔つきが変わった

 「反省の書面とかはあるのか!どうなんだ!」と突然声を荒げたのである。

 野口は逃げない。

 野口、「そのようなものはありません。」

 会長、「じゃあダメだ!帰りなさい!」

 野口は、手に持っていた会長宛の手紙を差し出しながら、

 「岩手さんから会長の所に行きなさいと言われ・・・」と用件を伝えようとする。

 会長はその言葉をかき消すかのように、

 「岩手君は関係ない!君の根本の信心の問題だ!枝葉末節は関係ない!」

 野口は一歩も引かない、

 「あの監査は間違っていると思います。」

 会長はフロアー中に響く怒鳴り声をあげた。

 「監査の話をしているのではない!!!君の今日までの男子部としての事を言っているんだ!!反省の書面が無いなら帰りなさい!!終わりだよ!帰りなさい!!」。

 野口は、原田会長が何について「反省」を求めているのか本当に分からなかった。ここで引き下がればまた後悔する。本部にいる意味も、師への誓いも、職員としての使命も自らが捨てることになる。自分はどうなっても良い、使命を、職員としての使命を果たすんだ。

 野口、「会長、どこがいけないのか話をしていただきたいのですが。」

 会長、「書いて持って来ないならダメだ!」

 野口、「手紙は受け取っていただけないのでしょうか?」

 会長、「反省がないならダメだ!帰りなさい!終わりだよ!」

 気が付くと、野口の後ろには会長秘書室の幹部職員3人が詰め寄っていた。事務所フロアーの30人近い職員は、原田会長の大声に驚き、皆、やり取りに注目していた。野口は詰め寄っていた幹部職員3人を見つめ、その場をあとにせざるを得なかった。


 悔しさと怒りが込み上げた。

 なぜ手紙すら受け取ってもらえないのか。反省する点があるならば教えて頂いても良いのではないか。しかし、反省文が無ければ質問すらできないと言われる。どうしても理解することができない。

 何度も何度も監査委員会から出された誓約書を振り返る。しかし、どう考えても、本部職員の不正を隠し、無実の会員に反逆のレッテルを貼った誓約書が正しいとは思えない。師に誓ってこの誓約書に誓約することは絶対に間違っている。己に負けてはならない。

 おかしい事を「おかしい」と声を上げないことこそが、弟子として絶対にあってはならい。何もせずに黙っていることは、不正を認めることと同じである。必死に祈った。どうすれば良いのか。どうすれば会長と話すことができるのか。

 祈り続け、野口はこう決意する。

 「もう一度会長に手紙を渡しに行くんだ」


 平成22年6月1日、野口は昼休みに原田会長の席を訪ねる。

 自然と足の震えはなかった。

 野口、「原田会長、1か月前にお訪ねしました事で来ました。」

 会長はすぐさま野口を指さし怒鳴り声を上げる。

 「反省が無いならダメだと言っただろ!帰りなさい!」、「反省文を書きなさい!話はそれからだ!反省文はあるのか!」

 さらに、「多くの先輩、学会に迷惑をかけているんだ!反省しているのか!どうなんだ!え!言ってみなさい!反省しているのか!」と、

 野口は引かない。「何を反省すればいいのいか分からないので、直接話を聞いて頂きたいのです。」

 会長、「そんなことも分からないのか!自分で考えなさい!」、「終わりだよ!帰りなさい!もっと題目あげなさい!」

 もはや問答無用の対応だった。会長の姿はもはや話せる状態になかった。野口はその場をあとにした。


 原田会長から、「迷惑をかけている」と言われることが苦しかった。もし、原田会長が、一度でも話を聞いてくれていたのであれば、多くの先輩職員に面談を求めることもなかった。

 原田会長の話に筋が通っているとはどうしても思えなかった。これだけお願いしてもなぜ話を聞いて下さろうとしないのか。悔しさが込み上げ、涙がでてきた。

でも、絶対に自分に負けない、そう決めたはずだ、師に誓ったはずだ。これは、自らの信仰と師弟が試された試練なんだ。

 本部にくすぶる、問題を根本解決しない「事なかれ主義」の思想と絶対に戦う!


 その日の夜、野口から原田会長とのやり取りを聞いた滝川は、居ても立ってもいられなかった。

 なぜ、原田会長は一度も話を聞かず、手紙を受け取ることさえしないのか。この手紙は、会員たちが不当な扱いを受け続けている実態を会長に伝える、已むに已まれぬ声を綴った手紙である。

 滝川は思った。会員が不当に扱われる理由は、「会長の指導に従わないから」というものである。これを傍観すれば、会員のおかげで存在する、職員としての意味を自ら失うことになる。自分としても、原田会長に話を一度でいいから聞いてもらうお願いをしたい。自分の目と耳で原田会長の返答を確認しなければならない。


 平成22年6月2日、滝川は休暇を使い、学会本部に向かう。野口から手紙を受け取ると、昼休み、原田会長の席に行く。

 会長は青年部最高幹部と懇談中であった。話が終わったため、滝川は会長の前に進み出る。

 そして、「会長、お手紙を」と手紙を差し出したのである。

 会長は自然に手紙を受け取り、無言のまま顔を上げ滝川を見た。

 そして、今度は封筒の裏の差出人に視線を落とした。

 すると、次の瞬間、顔つきが変わり、受け取った手紙を机の上に叩きつけたのである。

 そして、大声を張り上げた。

 「反省しろ!反省文は持ってきたのか!」

 広い事務所フロアーの中は、翌日本部幹部会が開催されるため、全国から上京した壮年、婦人、男女青年部の幹部たちでごった返していた。皆の視線は突然怒鳴り声を上げる原田会長に集まった。

 すぐに滝川は静岡全国男子部長と千葉全国牙城会委員長たちに取り囲まれ、事務所フロアーから連れ出された。


 滝川は、原田会長の問答無用の対応を体感し、これ以上お願いしても話を聞いて頂ける可能性は低いのではないかと感じた。必死に祈り考え続けた。

 原田会長は手紙を手渡しただけで、怒鳴り始めてしまう。この状況でもう一度会長に手紙を届けに行っても、怒鳴られ追い出されて終わるだけではないか。会長を訪ねることで、会長の自分に対する印象をさらに悪くさせ、さらに要らぬ誤解を与えてしまうのであれば、それは本意ではない。

 「これ以上はやめた方が良い。」そんな思いが、頭をよぎった。

 しかし祈れば祈るほど、自分はこの「学会本部の不正」という問題を見て知ってしまった。会長に伝えることが出来るのは体験した自分しかいない。そして、現に会員たちが苦しんでいる。この問題を見過ごし、師匠の前に胸を張って立てる自分なのか。自分が知ってしまった本部の問題を一日でも先送りにすることは、自分の命を誤魔化し、自分で自分を裏切っていることと同じではないのか。それは断じて、生きているとは言えない!

 自分が師弟に生きることが出来ないのであれば、生きながらの死である。それは間違っている。

 ならば、原田会長を信じ抜き、正しいと信じることをやり続けるしかない。もう一度だ、もう一度だ。もう一度行くんだ。

 原田会長のもとへ。


 平成22年7月8日、仕事を終えた滝川は、祈り勇気を湧き立たせ、学会本部に向かったのである。

 原田会長の席に行くと、会長は「何?」と視線を向けた。

 滝川が、「お手紙を」と言い終わらないうちに、

 原田会長は、「受け取らないって言ってるでしょ!反省してないでしょ!ダメ!帰りなさい!帰りなさい!」と追い返そうとする。

 滝川、「何を反省すれば宜しいのでしょうか。本当に本当に教えて頂きたいのです。」

 会長、「今までいろいろ指導されてきただろ!自分の胸に聞いてみろ!」、「帰りなさい!帰りなさい!帰りなさい!」。

 怒声が何度もフロアーに響き渡る。

 さらにその瞬間、滝川は原田会長秘書にその場で羽交い絞めにされる。

 滝川は、会長秘書に抱えられ引きずり出されながらも、会長に向かって必死に叫んだ。

「会長!会長!会長!最後に、最後に一つだけお伺いさせて下さい!池田先生は、先生は、このような話を聞こうとしない会長の振る舞いを正しいと仰ると思われますか!」

引きずられ、必死に声を投げかけた滝川に対し、原田会長は叫んだ。

 「当然だ!!」


 会長は「当然だ!」と叫んだ。なぜ「当然だ」と言えるのか。ただ話を聞いて欲しいと懇願する一職員の話を何も聞かず、怒鳴り散らし、力ずくで排除する。この原田会長の振る舞いは、対話を根幹とする創価の会長としておかしいと感じてならなかった。そして師匠が原田会長の振る舞いを見たならば、絶対にお叱りになると思えてならなかった。

 この原田会長の問答無用の振る舞いによって、学会本部の中での対話が無くなり、権威主義、官僚主義へと堕していく実態を見る思いがした。


「まことの対話には、同苦があり、和気があり、共感がある。対話を忘れた指導者は、権威主義、官僚主義へと堕していくことを知らねばならない。」(名誉会長指導)


 この硬直化した学会本部を対話によって断じて変革していかなければならない。不当な扱いをされている会員の問題を解決するためには、最終決定を下した原田会長と対話をしなければならない。


 そして、こうした学会本部の体質を感じた時、全国には職員によって苦しめられている会員はまだまだいるのではないかと思えた。我々が出会った問題は、そのほんの一部分に過ぎないのではないか。

 原田会長との対話を諦めることはできない。師への誓いを守らぬ本部になれば、それは職員である己が師匠への誓いを破ったことになる。それだけはあってはならない。我が命を失っても師への誓いだけは守らねばならない。滝川は、深く決意を固めるのである。

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