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執筆者の写真創価学会元職員3名

第5 対話なき学会本部の実態(H22.2~H22.3)

「“対話”“言論”の停滞、それは『広布』の停滞につながる。『正義』は『正義』、『真実』は『真実』と、どこまでも叫びきっていくことである。

沈黙する必要はない。恐れる必要もない。―その強き一念と行動の大風に、立ちこめた暗雲もいつしか晴れ、勝利の太陽が輝く。そして相手の対応がどうであれ、また一時の状況がどうであれ、正義を叫びきったという事実は、厳然と歴史に残る。」(名誉会長指導)


 師は叫ばれた

 「対話」の停滞は 「広宣流布」の停滞であり 

 「対話」の停滞は 「創価学会」の停滞であると。

 ゆえに、

 「対話」こそが正義であり 「対話」こそが師弟なのだ

 「対話」こそが創価であり 「対話」こそが勇気なのだ


 ならば君よ!

  真実を追求する対話を 絶対に諦めてはならない!


  偉大なる師の仰せを根本とし

  真実の対話によって 創価の未来を築くのだ!


  臆病に支配された

  狂った嫉妬の心によって

  馬鹿にされ、足蹴にされても


  対話の旗を 勇気の力で

  掲げゆくことだ!

  人間の心を信じ抜き、

  可能性を信じ抜く 勇気の対話に徹することだ!


  対話があるところに、創価の発展がある

  対話があるところに、広布の発展がある

  ゆえに 君よ!

  対話への挑戦にこそ 

  師弟の歴史が

  我が生命に刻まれることを 

  忘れてはならない



 平成22年2月25日、職員全体会議の席上、小平は、4月1日付での九州・福岡への人事異動を発表される。

 どんな苦難も受け切る覚悟は決めていた。しかし、地域組織では、本部職員の不正に勇気の声をあげた会員が、不当な扱いを受け続けている。何としても、九州に発つ前に、師匠に報告しなければならない。時間が無かった。必死に祈り続けた。

 翌週3月1日に茨城氏が宮城副会長に師匠宛ての手紙を手渡すことができた。しかし、その直後、小平は職場上長である管理局長から、突然、個室に呼ばれる。

管理局長は静かに話し始めた。

 「青森副会長から、『君の局員である小平君が御子息の宮城さんのところへ手紙を渡しに行っているので、注意するように』と言われた」と。(青森副会長は小平が所属する管理局の最高責任者(責任役員)であり、管理局長の上司でもあった。)

 小平は管理局長に率直に尋ねた。

 「なぜ、宮城副会長に手紙を渡してはいけないのでしょうか。なぜ、上司の青森副会長や管理局長から注意を受けなければならなのでしょうか」と。

 自分の業務上の行為が問題とされるのであれば理解できる。しかし、本部職員の問題を宮城副会長に相談しようと手紙を渡すことは、管理局の業務とは一切関係ない。手紙を渡しに行った時間も、業務時間に入らないように配慮し、始業時間の前に行っている。

 管理局長は小平の質問に窮したように黙る。管理局長自身、宮城副会長に本部職員の問題を相談しようと手紙を渡すことがなぜいけないのか、理由が分からず説明できないように見えた。

 沈黙が流れる。

 小平は、「局長からお答え頂けないのであれば、私が直接、青森副会長からお話を伺うことはできないのでしょうか」とお願いした。

 管理局長は、「青森副会長に聞いてみる」と話した。


 翌3月2日、小平は管理局長に、青森副会長に聞いて頂けたかどうか尋ねた。

すると管理局長は、「(話すことは)『無理』と言っていた」と返答した。

 小平は必死に説明した。

 「青森副会長を始め本部執行部が話を一度も聞いて頂けないので、やむなく宮城副会長にお手紙を渡したんです。」「宮城副会長に手紙を渡してはいけない理由がどうしても分かりません。“宮城副会長に手紙を渡さない”との約束をすることはできません」と。

 すると、管理局長は、「君は約束できないんだね。君の言ったことを(青森副会長に)そのまま伝えるよ!それにより、さらに職員懲罰委員会にかかるかもしれない」と声を詰まらせながら言った。

 小平は、宮城副会長に本部職員の問題を相談する手紙を渡す行為が、それだけで職員として懲罰の対象となることはどうしても、理解できなかった。(しかし、宮城副会長に手紙を渡す行為がその後懲罰の対象となる。)

 また、小平は管理局長に対し、自身が体験してきた一連の問題について詳しく説明をしていなかった。だからこそ、自身の目と耳で真実を知ってもらいと感じた。青森副会長から言われたままを伝えてくる、上の言うことに黙って従う本部職員の傾向とは向き合わなければならない。


 3月13日、小平は管理局長に時間を取ってもらい、一連の問題について2時間半に渡り説明する。

 管理局長は小平から一連の職員の問題を聞き、ただ頷くのみであった。そして、宮城副会長に手紙を渡してはいけない理由について、最終的に、「青森副会長に直接聞いて下さい」と言った。

 青森副会長は、管理局長に指示してまで、小平が宮城副会長に手紙を渡す行為を止めようとした。これまでも、職員規律委員会に職務規律違反として提起したり、職場の会合の場で私たちを暗に非難したりしていた。

 誤解があるならば、解かねばならない。一度、青森副会長と話をさせて頂く以外にない。


 九州への異動まで1週間を切った平成22年3月25日、就業開始時間前、小平は青森副会長の席を訪ねた。

 小平は尋ねた。「宮城さんに手紙をお渡しすることの何がいけないのでしょうか」と。

 すると青森副会長は「宮城さんは大事な人なんだ。煩わせてはいけない。」「本人の立場になれば分かるだろ!迷惑してるんだ!第一庶務もみんな迷惑しているんだ!」と。

 手紙を渡してはいけない理由は、以前第一庶務から言われたのと同じく「宮城さんは大事な人だから」であった。そして、「本人が迷惑している」と言う。

 小平は、「宮城さんは自分から手紙を受け取って頂いたんです。どうして宮城さんが迷惑していると言われるのでしょうか。宮城さんがそう言われたのですか」と尋ねる。

 しかし、青森副会長は「それは君に言う必要ないだろ!」と言葉を濁す。

一瞬間があり、さらに、「アポなしでやっているだろ、失礼だろ!普通アポを取ってやるんだ!君は社会的常識がないんだ!非常識なんだ!」と語気を強めて話し始める。

 宮城副会長に手紙を渡してはいけない理由は「アポ無しだから」ということであった。


 さらに、青森副会長は「今だって君はアポなしで訪ねてきて、私の業務の時間を潰しているんだ!私は8時半から業務の予定が入っているんだ。それは悪いと思わないのか!自分の主張を通すためなら何でもありか!」と。

 小平は、「業務の時間を潰してしまっているのであれば、申し訳ありません」と謝り、「一度話を聞いて頂きたいのですが」とお願いする。業務に迷惑を及ぼすつもりは毛頭ない、話をするためのアポイントをとってもらいたいとの思いだった。

 しかし、青森副会長は続けざまに、「君は私の業務を止めているんだぞ!創価学会の業務を止めているんだぞ!」「君はどんどん学会に迷惑をかける方向に行っているぞ!業務を止めていることは悪いと思わないのか!自分はすべて正しいのか!」と声を荒げた。小平の声は、青森副会長の声にかき消される。

 必死に小平は、「そんなことは全く思っていません」と伝える。

 青森副会長は「だったらしっかり謝れ!」と言い、小平は「それに関しては申し訳ありません」と深々と頭を下げた。そして、「業務のお邪魔にならないよう、後日アポを取らせて頂いてまた伺います」と伝える。

 しかし、青森副会長は、小平の顔を何度も指さしながら、「会わないと言っているだろ!早く帰れ!帰れ!」と連呼。小平は、その場をあとにせざるを得なかった。


 小平は一切話を聞いてもらえない青森副会長の対応に悩み、苦しんだ。誤解があるのであれば解きたいとの思いで後日のアポも懇願した。しかし、「会わないと言っているだろ!早く帰れ!帰れ!」と完全に拒否。

 宮城副会長に本部職員の問題を相談する手紙を渡すことが間違っている、との理由があれば受け止めねばならない。

 しかし、青森副会長が話す、宮城副会長に本部職員の問題を相談する手紙を渡してはいけない理由は、「宮城さんは大事な人だから」→「本人が迷惑しているから」→「アポ無しだから」としている。この理由は曖昧であった。また、理由そのものが変遷している。小平は業務上の権限を使って注意する理由にはなっていないと思った。

 幹部職員が、自分より役職が下の職員や会員の話を聞かずに無視。

 一度も話を聞かないまま注意。さらに、「懲罰にかかる」と。

 学会本部の中にある、対話が出来ない実態を改めて痛切に感じた。


 「対話こそが宗教の生命線であり黄金律である」(名誉会長指導)

 「仏法を基調とする人間主義を推し進めるにあたって、いかに狂信や独善、不信といった問答無用(原理主義)の壁が立ちはだかろうと、この、対話こそ人間主義の"黄金律"であるという旗だけは、断じて降ろしてはならない」(名誉会長指導)


 対話なき本部の実態を見ておいて、自分自身、本部職員として見て見ぬ振りをしたならば、師匠に対する裏切りだと心から思った。


■ 名誉会長側近の婦人部最高幹部へのアプローチ


 何としても、師匠に「対話なき創価」「対話なき本部」の実態を伝え、弟子が師の理想とする創価へと変革し続けなければならない。

 本部の中の思いつく限りの方々すべてに当たってきた。長谷川副理事長(現・理事長)、宮城副会長、栃木副理事長と。しかし、誰一人として師匠へ報告して頂くことは叶わなかった。

 自分たちが間違っているのであれば、一からやり直す。しかし、対話することすら叶わない。

 4月からは九州に行かねばならない。身体は、本部から1000km以上も離れた土地に行くことになる。しかし、ここで諦めるわけにはいかなかった。

 今、この瞬間も職員の不正に声を上げた勇気ある会員たちが、地域組織で不当な扱いを受け続けている。一刻も早く、この問題を師匠に伝えなければならない。

 小平は、必死に祈り、考えた。そうした中、師匠の側近として第一庶務業務を担われている婦人部最高幹部の山梨女史に思いが至った。小平は創価大学在学中に学会本部のお手伝いをさせて頂き、その後も本部職員として働いていたため、常に師匠と行動を共にされる山梨女史を知っていた。

 山梨女史の娘の埼玉さんは元本部職員で面識があった。その夫は小平の友人であった。

 師に報告出来る可能性のあることはすべてやりきろうと決意した。


 小平は必死に祈り、九州・福岡県へ移動する直前の平成22年3月30日、信濃町の銀舞会館で埼玉さんと会うことができた。

 埼玉さんに、滝川に対する威圧的な本部指導監査委員会の面談の録音テープも聞いてもらう。埼玉さんは、顔を曇らせ、首をかしげた。

 小平は、会員を犠牲にして職員の問題を伏せる本部の実態、師匠に報告が届かぬ本部の実態を山梨女史に相談させて頂きたいとお願いする。

 埼玉さんは言った。

 「わかりました。母には伝えます。どんな結果であれ、必ずこちらから連絡します。」と。

 嬉しかった。涙が出た。山梨女史から師匠に届くかもしれない。

 小平はかすかな希望を胸に羽田空港に向かった。搭乗口には、共に戦う同志、反逆者とレッテルを貼られた会員やその妻もいた。小平は皆に伝えた。「本当にありがとう!戦いはこれからだよ」。

 会員や同志の目には涙があった。その姿に、二度と純粋な会員に悔しい涙を流させてはならないと誓った。最後の最後まで手を振りつづけてくれる会員に、何としても師匠に創価の実態をお伝えすると誓った。そして小平は33年間、自分を育ててくれた地元を離れ、九州へと発った。

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