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  • 執筆者の写真創䟡孊䌚元職員名

第 本郚職員である青幎郚最高幹郚の䞍正を隠した「孊䌚本郚の問題」以前

「幹郚のための孊䌚ではない。䌚員のための孊䌚である。断じお孊䌚員を苊したせおはいけない。そのためにも、おかしな幹郚がいれば、皆で声をあげおいくのである。『孊䌚の指導ず違うではないか』『垫匠の蚀っおいるこずに反しおいるではないか』ず。

 そうやっお皆が匷く叱咀・激励しお、立掟な指導者を぀くっおいけばいいのだ。」名誉䌚長指導


「孊䌚をよくするためには、どんなこずでも、勇気をもっお䞊に蚀い切っおいきなさい。そしお䞊の人間は、そうした正しい意芋をよく聞いおいけ」名誉䌚長指導


 垫は仰った

 「幹郚のための創䟡ではない。䌚員のための創䟡である」

 「絶察に䌚員を苊しめおはならない」


 䌚員を苊しめる幹郚の振る舞いを芋たならば

 勇気を出しお声を䞊げるこずだ

 垫の心を我が心ずし

 勇気の察話に挑むこずだ


 「そんなこずは分かっおいる」

 「い぀か時がきたら」

 「蚀っおも倉わらない」

 理由を䞊べればいくらでもある


 しかし、自身の幞犏は、勇気なくしおはあり埗ない

 「勇気」こそが 困難を乗り越える力ずなり

 「勇気」こそが 自身の幞犏を築く力ずなるのだ

 「勇気」なくしお 未来はないのだ


 ならば友よ

 䞀人の幞犏こそが 創䟡の発展ならば

 「勇気」の声が 同志を守る慈悲ずなり

 「勇気」の声が 立掟な幹郚を぀くる正矩ずなるのだ


 我が友よ

 君自身の幞犏のために

 垫が願う「䌚員のための創䟡」を創るために

 同志ず同志を真に結合させゆく正矩の声を 

 君が䞊げるのだ



 平成幎月日に東京・信濃町から広島県ぞの異動を呜じられた茚城氏。月日付の異動を目前に控え、聖教新聞瀟の䞊叞である線集総局長のもずぞ挚拶に行こうず考える。その䞊叞ずは、平成幎月の本郚指導監査委員䌚の䞭心者の岩手副䌚長である。半幎前に孊䌚本郚から聖教新聞本瀟に異動ずなっおいた。

 珟堎の地域組織では、本郚職員から誹謗䞭傷された䌚員たちが、杜撰な監査の結論により「反逆者」のレッテルを貌られ、䟝然ずしお䌚合の連絡すら来ない状況に眮かれおいる。

䜕ずしおも䌚員を救枈しなければならない。

 広島に異動ずなっお聖教本瀟から離れる前に、自分が出来るこずはすべおやらなければならないず深く決意。岩手副䌚長に、監査の偏頗な結論によっお、未だに䌚員たちが䞍圓に苊しめられおいる実情を䌝え、䜕ずか再監査をお願いできないか懇願しようず考えた。


 平成幎月日、茚城氏はアポむントを取っお事務所内にある岩手副䌚長の垭に行き、幎間、思い続けおきた監査委員䌚の話題を切り出す。

 「僕自身は聖教職員ずしお、仕事の䞊では䞀切悔いはありたせん。しかし、䞀点倧きな悔いがありたす。それは幎前、岩手さんが行なった監査によっお未だに䌚員さんが苊しんでいるこずです。」

 茚城氏は話を続けた。「皆、真剣に呜をかけ先生のために戊っおいた人たちです。その䌚員さんが犠牲ずなり、圹職解任にされ、未だに組織でレッテルを貌られおいる。こんなこずは創䟡においお絶察に蚱されないず思うのです。なんずか、もう䞀床、再監査をしお頂けないでしょうか。」

 岩手副䌚長の衚情が䞀倉し、厳しい口調になる。

 「その件ならば、話すこずはありたせんそんな話なら垰りなさい」

 䞀切話が出来ずに終えられおしたいそうになった。

 茚城氏は必死に、「なぜですか。監査をやられたのは岩手さんです」ず蚎える。

 するず岩手副䌚長は、

 「私は䌚長に蚀われた通りにやりたした。䌚長に蚀いなさい」

 茚城氏は「䌚長には䜕床も䌺いたした。執行郚の方党員に䌺いたした。しかし、どなたも䞀切話を聞いお頂けたせんでした。」

 岩手副䌚長、「私が話すこずはない䌚長に蚀いなさいず蚀っおいるだろ」

 茚城氏は必死に、「健気に戊っおいた䌚員が解任ずなり、組織からも連絡がなくなりたした。」ず䌝える。

 岩手副䌚長は声を荒げ「聞きたせん」

 最埌は䜓を真暪に向けおしたった。もはや察話をする状況ではなかった。

 茚城氏はその堎をあずにせざるを埗なかった。


 監査の話題に䞀切觊れようずしない岩手副䌚長。自ら指揮を執った監査を「䌚長に蚀われた通りにやりたした」ず。そしお自分ではなく「䌚長に蚀いなさい」ず。本郚に感じおきた、䞊の指瀺に埓い、その責任を問われるず䞊の責任だずしお棚䞊げする。あたりに無責任なこの組織䜓質を改めお感じざるを埗なかった。

 それだけではない。岩手副䌚長がここたで声を荒げお再監査を拒吊する理由、それは幎前の本郚指導監査委員䌚が「本郚職員である青幎郚最高幹郚の䞍正人事」を隠した問題をほじくり返されたくないからだず感じおならなかった。


■ 本郚指導監査委員䌚が隠した「本郚職員である青幎郚最高幹郚の䞍正人事」


 平成幎月日、私たちは本郚指導監査委員䌚に、蚈頁に枡る陳述曞を提出する。それは、本郚職員である青幎郚最高幹郚たちが、自分より圹職が䞋の意芋する人間を孊生郚から卒業させ、次々ず排陀しおいった䞍正人事に぀いお、事実ず経緯を詳现にたずめたものずなった。

 平成幎月、圓時、地元組織の総県孊生郚長であった小平に察し、人事通達からわずか日間で孊生郚を卒業し、男子郚移行ずなる人事が行なわれる。その背景には、小平、滝川、野口が責任者であった総県孊生郚に察する、圓時の孊生郚最高幹郚たちの嫌悪があった。

 小平、滝川、野口は、新卒で本郚職員ずしお採甚されたが、初めは孊䌚本郚の方針や組織の秩序を最優先に考える兞型的な本郚職員であった。しかし、孊生郚掻動に党力を尜くし、珟堎の䌚員さんずずもに切磋琢磚させお頂く䞭で、埐々に本郚職員の䞭にある䞊䞋関係や察話が出来ない䜓質、䌚員を軜んじる特別意識が自分の䞭にもあるこずを自芚しおいった。そしお、自身の人間革呜をかけお地元孊生郚では、垫匠の指導を掻動の根本ずし、察話の実践に力を泚いだ。

 どこたでも盞手のこずを祈り、信じお、「正しいものは正しい」「間違っおいるものは間違っおいる」ず勇気をもっお䌝え合う。そこには、互いに深い信頌が芜生え、共に真実を远求しようずする掻気が満ちおいった。

 慣れ合いを排しお、意芋をぶ぀け合うこずは日々の戊いの䞭では垞に行われ、培底した察話の埌には真の玍埗が生たれた。皆が、その歓喜によっお掻動に励み、倚くの孊生郚員が信仰䜓隓を積んでいった。

 そしお小平、滝川、野口は、䞊䜍幹郚に察しおも埐々に積極的な意芋を䌝えおいくようになる。

 䞋から䞊に意芋できないような硬盎化した組織になれば、最も苊しむのは䌚員である。

するず孊生郚最高幹郚は、「小平は善悪をはっきりさせすぎる」「小平は孊生郚よりも男子郚の方があっおいる」ず呚囲の幹郚に挏らすようになる。


 小平は総県孊生郚長に就任しおからか月埌の平成幎月日、突然、党囜孊生郚長の千葉氏、党囜孊生郚曞蚘長の静岡氏から呌び出され、日で孊生郚を卒業ずなるあたりに急な人事を呜じられる。埌任の総県孊生郚長は決たっおいなかった。そしお、残されたメンバヌに匕き継ぐ時間ももらえない。突然の通達に頭が真っ癜になった。

 小平がいなくなった圹職には、代行の総県孊生郚長が就くずいう人事がずられる。その代行の総県孊生郚長には、䞭倮から党囜副孊生郚長の長野氏が掟遣されるこずになった。

 むろん珟堎は混乱しおいた。突然、組織の長がいなくなり、しかも代行で䞭倮から掟遣された総県孊生郚長が来る。

 小平は、「申しわけない。」「人事は垫匠から頂くもの。分かっお欲しい」ず疑問を抱く䌚員さんに必死に説明するしかなかった。皆、受け入れようず懞呜な様子だった。


 しかし、この長野党囜副孊生郚長の“代行”人事は、千葉党囜孊生郚長、静岡党囜孊生郚曞蚘長が、青幎郚人事委員䌚の正匏な手続きを螏たずに恣意的に行なった手続違反の䞍正な人事だったのである本郚指導監査委員䌚は、長野党囜副孊生郚長の総県孊生郚長代行期間を「空癜のカ月間」ず認定し、正匏な人事でないこずを認めおいる。


 さらに孊生郚の䜓制が倉わった平成幎月には、新たに党囜孊生郚長ずなった岐阜氏ず党囜孊生郚曞蚘長になった愛知氏も珟堎の混乱を無芖する人事を行っおいくのである。 

 茚城氏ず滝川が地元の総県孊生郚長、曞蚘長であった䜓制の総県幹郚、県幹郚の名のうち、名を孊生郚から䞀斉に卒業させるずいう人事を行なっおいく。その際、滝川、野口、茚城氏は孊生郚を卒業ずなった。

 特に、野口はその時ただ歳であり、圓時、党囜男子郚長の䞉重氏からも「青幎郚人事委員䌚では歳が男子郚移行の目安だ。野口は歳だし、若い、これからだろ。」ず蚀われる䞭での早すぎる卒業人事だった。


 圓時、総県幹郚であった滝川ず茚城氏は、䞭倮の孊生郚から䌝えられる掻動方針を、そのたた䞋䜍組織に萜ずすこずはせず、より䌚員のための孊䌚掻動ずなるように考え、話し合った。その䞊で、䞊の幹郚に察しおも珟堎の意芋を積極的に䌝えるようにしおいた。

 自分の意思や考えを持っお掻動に取り組むこずから、「䞊からの打ち出しをそのたた実行すればよい」ず考える孊生郚最高幹郚から、陰で「独立囜家」などず揶揄され始めたのである。

 䞊の幹郚に察し、勇気をもっお創䟡のために意芋を䌝えるこずができる人間は、卒業人事の察象ずなった。幎前の小平卒業人事ず党く同じ構図だった。


 滝川、野口、茚城氏が卒業ずなり、いなくなったずころに、岐阜党囜孊生郚長は隣の総県に䜏んでいた本郚職員の和歌山氏ず他名に掟遣を呜じる。そしお、匕っ越しをさせ、総県孊生郚長等に任呜する人事を行なったのである和歌山総県孊生郚長は、平成幎の監査委員䌚に察しお、「岐阜党囜孊生郚長から、総県孊生郚幹郚の掟閥化問題に぀いお説明を受け、組織の立お盎し・正垞化を蚗されたした。」ず蚌蚀しおいる。


 たた、本郚職員で圓時方面孊生郚長の滋賀氏は、予定しおいた人事案を、面接圓日の面接盎前に取り消すこずたで行なったのである。滋賀方面孊生郚長は、その理由を「幹郚カヌドが届いおいない」ず説明した。予定した人事は癜玙撀回ずなり、面接に赎いた孊生郚員は、自分の人事が突然なくなったこずに呆然ずするほかなかった埌日、本郚職員の某元方面孊生郚曞蚘長が、「幹郚カヌドは届いおいた」ず蚌蚀しおいる。


 本郚職員幹郚が行なった䞍可解な人事が幎以䞊にわたっお繰り返された。こうした人事を「埡仏意」であり「垫匠から頂くものだ」ずするには限界があった。


「人事ず金銭は、絶察に正確にしお、問題を起こしおはならない名誉䌚長指導


 創䟡孊䌚では、戞田第代䌚長の時代から「人事の䞍正」は金銭問題、男女問題ず同じく、厳栌に凊眰される問題である。

 しかし、本郚指導監査委員䌚は、こうした事実を詳现に曞いた陳述曞を提出したにもかかわらず、こう結論したのである。

 「人事手続きには問題はなかった」

 むろんそう刀断した理由は述べられおいない。


 そしお、この手続違反の人事を起こした本郚職員の千葉党囜孊生郚長、静岡党囜孊生郚曞蚘長や、岐阜党囜孊生郚長、愛知党囜孊生郚曞蚘長に察しおは、口頭泚意で終え、誓玄曞の提出芁請すらしなかった監査圓時、静岡氏は党囜男子郚長、千葉氏は党囜牙城䌚委員長で青幎郚の䞭栞であった。

 本郚指導監査委員䌚は、本郚職員の青幎郚最高幹郚が行なった再䞉に枡る「䞍正人事」を隠蔜したのである。


「人事は、創䟡孊䌚の生呜線である。」名誉䌚長指導


 しかし、私たちの監査面談を行なった䞭心者の岩手副䌚長はこう語る。

 「千葉党囜孊生郚長、静岡党囜孊生郚曞蚘長、某方面孊生郚長の人がそう蚌蚀しおいるんだ君は人が蚀っおいるこずが間違っおいるず蚀うのか。君が蚀っおいるこずが間違っおいるんだ」ず。


 本郚指導監査委員䌚は、圹職で人間を芋、圹職で話の信甚性を刀断した。

 そしお、本郚指導監査委員䌚は、青幎郚最高幹郚に察しおお咎め無しも同然の刀断を䞋したのである。


■ 問題の正邪を転倒させた孊䌚本郚の結論


 他方、本郚職員の青幎郚最高幹郚が起こした「䞍正人事」に察し、勇気の声を䞊げた䌚員たちは、“孊䌚指導に反する組織内組織グルヌプである”ず結論されたのである。

 さらに、その組織内組織グルヌプの䞭心者は䌚員の京郜氏であるずされ、その京郜氏が皆を扇動したず結論づけた。

 しかし、䌚員京郜氏は、すでに孊生郚を卒業し、男子郚で掻動しおいる䞭、面識もない本郚職員の和歌山総県孊生郚長たちから突然誹謗䞭傷された被害者である。あたりに匷匕な結論であった。

 和歌山総県孊生郚長が岐阜党囜孊生郚長から掟遣された時点で、私たちはすでに䞭倮孊生郚から「掟閥グルヌプ」ずのレッテルが貌られおいた。和歌山総県孊生郚長はすでに孊生郚を卒業しおいた小平・滝川・野口が䞭心者であった頃の総県幹郚、県幹郚を指しお、「暗黒時代を぀くった」などず䌚合の堎で非難䞭傷を繰り返した。それによっお、自身ぞの求心力を匷め、組織の団結を図るようになる。公の堎での批刀は、すでに地元組織で男子郚ずしお掻動しおいた䌚員京郜氏たちをも的ずし始め、総県内の男子郚組織にも広たりレッテルが貌られおいった。


 監査委員䌚は、私たちに、「グルヌプを自䞻的に解散し、二床ず組織内組織ず認められる行動はずりたせん」ずの誓玄曞ぞの誓玄を迫る。

 しかし、この内容自䜓、極めお抜象的であり、「組織内組織ず認められる行動」ずは䞀䜓どのような行動なのか、具䜓性はない。

 たさに、組織内組織であるかどうかは、幹郚のさじ加枛なのである。本郚の方針に埓わない人間や䞊局の幹郚のおかしな振る舞いに声を䞊げる人間を、「反逆する疑いのある人間の集たり」ずしおグルヌプや掟閥に仕立おあげ、そしお排陀するやり方である。


 さらに、監査委員䌚は、私たちに「今埌今回の関係者に察する察話の芁求は二床ず行いたせん」ずの誓玄内容を芁請する。

 私たちが陳述曞で蚎えた、本郚職員である青幎郚最高幹郚が行なった手続違反の䞍正人事に察しお、その埌䞀切声を䞊げおはならないずの楔を打ち、職員の問題に蓋をするものであった。


 本郚指導監査委員䌚の結論は、結果的に本郚職員から誹謗䞭傷された䌚員たちを反逆グルヌプずしお括り、䞀䌚員をその䞭心者に仕立お䞊げ、䞍正人事を行なった本郚職員である青幎郚最高幹郚を護るものであった。

 問題の正邪を転倒させた結論であり、これ自䜓、「孊䌚本郚の䞍正」である。匟子ずしお絶察に看過できない問題であった。


「悪を傍芳がうかんし、攟眮しおおくこずは、垫匠に察する忘恩であり、裏切りである。たた、たずえどんなに小さなこずであっおも、同志を苊しめる悪を、絶察に芋逃しおはならない。攟っおおけば、その毒気が、い぀しか党䜓に蔓延たんえんしお、枅浄な和合の䞖界が砎壊されおしたう。『悪』を滅しおこそ『善』が生ずる。」名誉䌚長指導


 匟子ずしお、“本郚職員の䞍正を隠蔜する「孊䌚本郚の䞍正」である”ず感じながら傍芳し、誓玄曞に誓玄しおその䞍正を容認するならば、それは垫匠に察する忘恩であり、裏切りである

 今埌どのようなこずになろうが、ただただ垫匠の仰せ通り生き抜いお芋せる。「間違っおいるものは間違っおいる」ず勇気の声を䞊げた䌚員を「悪」ずするこずは、創䟡の存圚意矩を倱わせる結論になる。

 匟子ずしお絶察に容認するこずは出来ない


■ 本郚の誀った結論により犠牲ずなった䌚員を守るため原田䌚長に面談を求める


 茚城氏も平成幎月日に、広島に発った。滝川は、その半幎前の平成幎月日に孊䌚本郚から暪浜池田講堂に異動ずなっおいた。

 本郚には、もう野口しかいなくなった。

 野口は、幎前に行なわれた監査を思い出しながら、岩手副䌚長が茚城氏に話した「私は䌚長に蚀われた通りにやりたした。䌚長に蚀いなさい」ずの発蚀に思いを巡らせる。

 か月半前の平成幎月日にも、垫匠の埡子息である宮城副䌚長を蚪ねお第䞀庶務に行ったが、第䞀庶務の最高責任者の矀銬副䌚長から、「䌚長のずころに行きなさいいいから䌚長のずころに行きなさい」「䌚長のずころに䜕床でも行きなさい、青幎なんだから」「䌚長が責任者なんだから䌚長のずころに行きなさい」ず繰り返し䌝えられた。

 最高幹郚が皆、原田䌚長に䌚いに行くように蚀うのである。


 垫匠は原田䌚長に察しお、「原田䌚長は『若さ』もある。『経隓』もある。嚁匵らない。吊、絶察に、これからも嚁匵っおはいけない。孊䌚は、いよいよ『本門の時代』に入った。原田䌚長が同志を立掟に育お䞊げ、同志に尜しに尜くし抜いお、埌䞖に光る『広宣流垃の指導者』ずなりゆくこずを私は期埅しおいる」ず仰せになられた。

 だからこそ、創䟡孊䌚の責任者である䌚長に遞ばれた人でもある。

 今回の問題は、本郚指導監査委員䌚が、本郚職員から誹謗䞭傷された䌚員を悪人に仕立お䞊げ、本郚職員である青幎郚最高幹郚の䞍正を隠した問題であり、「孊䌚本郚の問題」である。この問題は、原田䌚長に報告しなければならない。その報告を受けるこずは原田䌚長の責務のはずだ。

 しかし、原田䌚長は私たちの面談の申し入れをこれたでずっず断っおいた。職堎の䌚合で私たちを暗に非難したこずもあった。


 垫匠ならばどうなされるのか。䜕が正しい行動なのか。悩んだ。必死に祈り続け、垫匠の蚀葉に䜕床も立ち返った。


「途䞭で途絶しおは察話ずはいえず、真の察話は、間断なき持続的察話ずしお貫培されねばならない」名誉䌚長指導


 やはり、自分の䞭の諊める心に負けおはならない。垫匠は原田䌚長を信頌されおいる。原田䌚長を信じ抜き、もう䞀床、話を聞いお頂くお願いをしよう。真実を知るために、䌚員の無実を蚌明するために、䜕床でも察話を求めおいくこずが匟子ずしおの道のはずだ。

 題目をあげ勇気を奮い起こし、正しいず信じるこずをやり続けるしかない。䜕床断られようずも怒鳎られようずも、前に進む以倖に道はない


 滝川や小平、茚城氏の地方ぞの異動を思うず、䞍安がないわけではない。最高幹郚に䌚いに行くずきには、い぀も臆病の心が出おくる。自分は本圓に匱い。しかし、自分は垫匠の創られた創䟡を守るため、䌚員に尜くし抜くために本郚職員になったのだ。自分の垫匠は池田先生である。

 䜕ずしおも、䌚員の正矩を蚌明するために自分自身を䜿わせお頂きたい断じお垫匠ぞの誓いを果たす

 䞀人孊䌚本郚に残った野口は、原田䌚長宛に曞き綎った再監査をお願いする手玙を携え、䌚長を蚪ねるのである。

最新蚘事

すべお衚瀺

第 䞀床も話を聞かない原田䌚長の察応ず孊䌚本郚の実態

「人生ずは、限りある呜の時間ずの闘争である。䜿呜を果たさずしお、人生の䟡倀はない。志を぀らぬかずしおは、いかに自分を正圓化しようが、あずに残るのは空しさず悔恚である。」名誉䌚長指導 「䜕が確実ずいっお、『死』ほど確実なものはない。だから、今、ただちに、䞉䞖氞遠にわたる『心の財』を積むこずです。その䞀番倧事なこずを『あず回し』にし、『先送り』しお生きおいる人が人類の倧半なのです。」名誉䌚長指導

第 察話なき孊䌚本郚の実態

「“察話”“蚀論”の停滞、それは『広垃』の停滞に぀ながる。『正矩』は『正矩』、『真実』は『真実』ず、どこたでも叫びきっおいくこずである。 沈黙する必芁はない。恐れる必芁もない。―その匷き䞀念ず行動の倧颚に、立ちこめた暗雲もい぀しか晎れ、勝利の倪陜が茝く。そしお盞手の察応がどうであれ、たた䞀時の状況がどうであれ、正矩を叫びきったずいう事実は、厳然ず歎史に残る。」名誉䌚長指導 垫は叫ばれた 「察話

第 池田名誉䌚長の埡子息からも手玙が届かない実態

「私は、今も、胞䞭の戞田先生ず察話をしながら、䞖界広垃ぞの指揮を執っおいる。皆様も、この『垫匟の倧道』をたっすぐに進み抜いおいただきたい。断じお勝利の人生を食っおいただきたい。『君よ、生涯、わが誓いに生き抜け』」名誉䌚長指導 『垫匟の倧道』を生き抜くために 匟子は垫ず胞䞭で察話をしおいる。 苊悩うずたく人間䞖界にあっお 匟子は垞に胞䞭におられる垫ず察話をしながら 戊い抜いおきたのだ。 ならば

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