『まことの「誓い」の種は、必ず花と咲いてゆく。大事なのは、絶対にあきらめることなき執念と、前進ヘの戦闘を続けゆく負けじ魂だ。』(名誉会長指導)
『「勝つ」とは、決して「あきらめない」ということだ。烈風に、いや増して燃え盛る、炎のごとき不撓不屈の闘魂が、勝利を開くのだ。』(名誉会長指導)
「師匠に報告が届かない本部の体質」絶対に、絶対にあってはならない。
しかし、それ以上に
「報告が届かぬ本部の実態を見て、まことの誓いを捨て、あきらめる己の心」
こそ、最もあってはならない!!
「今の創価」はその心が創ったのだ。
「今の創価」は己自身が創ったのだ。
ゆえに、
断じて負けてはならぬ!
断じて負けてはならぬのだ!
未来の創価のために!
君が変わるのだ!
君よ頭を上げよ!
師の理想とする「創価」を創るのは己自身だ!
創価の正義を!師匠の正義を!
命ある限り!我は断じて叫んでみせる!!
本部指導監査委員会の結論通知の場。私たち3名を含む5名の本部職員は誓約を拒否した。
監査委員の中心者であった岩手副会長は、当時会長の側近でもあった。
岩手副会長は私たちの職場の上司に対し、私たちに誓約させるよう働きかける。
地域組織の問題である。職場の人間には関係がない。どんな罰も受ける覚悟はあったが、お世話になってきた職場の上司から説得されることは、この上なく苦しいものがあった。
誓約しなかった本部職員5名のうちの一人である秋田氏。
「誓約書は断じて受け入れられない」と語っていた。しかし、度重なる上司の説得に誓約することになる。
圧力は日を増すごとに強くなった。
そして、平成20年7月22日、名誉会長が不参加の職員全体会議の席上、原田会長は以下のように語りはじめた。
「最近、若手職員のなかで、組織の中心者の指導を聞かず、職場の上司の忠告も聞かない者がいます。それで殊更に自分の正義を主張する。それは『学会の指導を守り組織の秩序を守る』という学会員としての最低限のルールさえ逸脱した、職員にあるまじき姿勢であると言わざるを得ません。しかも、その己の正当性を主張するために、あろうことか池田先生のご指導を、切り文的、教条的に、都合よく悪用する。これは悪辣な『師匠利用』だと明確に断ずるものであります。」と。
この会議終了後、滝川は上司に呼び止められ以下のように伝えられる。
「あれは君たちに対する話だ」と。
その日以降、滝川は上司から職場の個室に何度も呼び出される。そこには、上司の他に、地元組織の幹部(職員)が待っていた。
翌23日、説得は朝から始まり、昼食時間も与えられないまま6時間に渡った。
滝川は「誓約だけはできません。それが正しい事だとは思えないのです。」
上司「正しいか正しくないかじゃない。会長が決めた誓約書に誓約しないことが問題なんだ。」
滝川「話を聞いて頂いた上で、判断されるならば分かります。しかし、そういう監査ではなかったのです。だから再監査をお願いしたのです。私はどうしても誓約は出来ません。」
上司「とにかく明日までに誓約書を書かなければ辞表をもってこい!」
題目を上げねば、仕事に行けなかった。
誓約すれば師匠は喜ばれるのか。いや、どうしてもそうとは思えなかった。
何度語っても、“事実や経緯がどうかではなく、本部の決めたことに従うか従わないかだ”と話す上司。
翌24日、滝川が仕事を開始するとまた、上司から呼び出された。
上司「職場的にも、もう置けない。信濃町にも神奈川にも」「北海道の日本図書の新聞輸送(外郭法人)だ。クビには出来ないが合法的にはそこまでは出来る。」「この職場にはいられなくなるのはもう決まっている。」
さらに、
上司「僕の言っていることが分かんないんだったら、職員を辞めていいよ。子供みてーなことばっかり言うんじゃねんだよ。」「局長と私の指導が聞けないんだったら、辞めてもらうってこと。」「僕らも厳しいよ。覚悟しとけ。」
そしてこの日、同じ職場の小平にも上司は、
「誓約書を書くように。もし書かないのであれば、辞表を持ってきて自分から職員を辞めるべきだ。」と。
職場の上司からの説得は続いた。もはや、説得と言えるものではなかった。
しかし、苦しい時ほど、なぜか不思議と、師匠の言葉が聖教に掲載される。師匠の言葉は実に温かかった。
『人生は、すべて戦いです。なかんずく、正しい人生であればあるほど、激しい戦いの連続である。その使命の闘争を、最後の最後まで貫けるかどうか。ここに、人間としての勝負がある。』(名誉会長指導)
素直に涙がでた。なんて幸せな自分なんだと涙がでた。
「先生、先生」と何度も自身に問いかけた。
“自分はあまりに弱い。しかし、その弱い自分は、偉大なる師匠の弟子である。ゆえに、負けてはならない”
誓約しなかった公明党の職員である福島氏。
その職場でも説得は続いた。公明党職員福島氏の上司は、連日、福島氏の席に赴き、肩を叩いて個別に呼び出した。
「学会側からかなり厳しく言われた」「サインしないなら毎日呼び出して説得する。それでもだめなら引っ張ってでもサインさせる」と。
上司は、平成20年11月28日には一時間半に渡り福島氏を説得する。それでも誓約しない福島氏。
しかし、上司は福島氏を連れ、福島氏の自宅を突然訪問する。
両親を前に、「サインを書かせるという折伏をしに来た。お父さん、お母さんの三人で連合を組んで説得しましょう」と語りはじめる。
福島氏の母親は、会長にも話が及んでいる事を初めて聞かされる。
問題の重大さに母は泣き叫び、発狂した。あまりの興奮で呼吸困難になった。 福島氏はその母の姿を見つめる。その姿に追い打ちをかけるように、上司は「サインするまで何度でもやる」と語る。福島氏は誓約する。
誓約するのも自由だ。むろん誓約しないのも自由だ。しかし、監査委員会の「誓約」には、もはや「誓約する」道しかないではないか!!
そしてついに、2週間後の平成20年12月15日、本部職員である我々を職員として罰するかどうかを検討する職員規律委員会が動き出した。
発起人となったのは青森副会長。
「一連の問題について、職員規律に抵触する可能性がある」と。
そして、「本部指導監査委員会の結論に伏さない理由」などについて、陳述書の提出を求められる。
職員規律委員会委員長は、名誉会長窓口の長谷川副理事長(現・理事長)だった。
心は決まっていた。
「正しいと信じることを為そう。誠実を尽くし、誠意を尽くし、それで罰せられるなら喜んで受け入れよう。」と。
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