2年前の2016年5月、師匠池田先生の絶対平和の思想に違背する『安保法制を推進する学会本部』に対し、「おかしい!」と声を上げた埼玉の壮年Aさんが、突然地区部長を降ろされ副支部長専任となった。
地区部長として10年、地区員お一人お一人の幸福のために必死に闘ってきた。そのAさんにとって、地区の方々に事情を話す猶予もなく、突然あいだを引き裂かれることは、この上なく苦しい出来事であった。
しかし、御本尊様にお題目をあげ抜き、“創価変革の闘いを諦めたならば、全てが水の泡になる”と自らを鼓舞した。
Aさんは、葛藤を繰り返しもがきながらも、“師の精神である「対話の旗」だけは絶対に、絶対に下ろしてはならない!”と深く決めていた。そして地道に地道に、地元の県長や圏長との対話を続けていったのである。
また、『安保法制を推進する公明党や、会員の疑問に全く説明しない学会幹部の狂いは、すべて学会本部、特に原田会長を中心とする本部執行部の狂いに原因がある』とAさんは考えていた。そして、私たち3人が呼びかける2016年7月3日の『学会本部前サイレントアピール』に初参加されたのである。
信濃町の大誓堂前に立ち、約1時間、毅然とした表情で「安保法制容認は三代に違背!!執行部は退陣」とのスローガンを本部執行部に対して掲げ切った。
正義の行動をやり抜いたAさんの顔は輝き、さらなる決意にみなぎっていた。
“なんとしても師匠の理想を弟子である自分が実現する戦いをするのだ!”
その直後、今度は7年担当した支部の統監部長を「解任する」との知らせが入る。一つまた一つと役職を外されていく。そして組織から排除されていく。
この頃から、県長と圏長のペアによる『懇談』という名の査問が始まった。
県長と圏長は、『学会本部前サイレントアピール』や『創価変革のための座談会』に参加する理由や私たち元職員3人との連携頻度などをAさんに尋ねる。その上で、こう伝えたのである。
「サイレントアピールなど意味のない行動は、やめた方がいいですね。」「時間の無駄です。」と。
Aさんはこぶしを固く握りしめた。
“サイレントに参加した方々の後ろには、参加はしていないが地元で応援している方々、無事故・大成功のお題目を送ってくださる方々が大勢いる。
なぜ、創価三代の思想と精神を護り抜こうと決意している人たちの気持ちを分かろうとしないのか。
『時間の無駄』と言えてしまう心は、あまりに無慈悲ではないか!”
『懇談』は回を重ねるごとに、県長らの発言が苛烈になっていった。
「Aさんは反創価学会ですか?
あなたは副支部長なんだから学会の方針と違う意見を言い続けるのなら、今後、役職の解任もありえます。」
ただただ師匠の仰せを護りたい。そう思うAさんに、県長らは『役職解任』をチラつかせて脅すまでになっていった。
しかし、師匠との誓いに生き抜くAさんは、日々真剣にお題目を唱え抜き、自分自身に問いかけ続けた。
“もし役職があることで言いたいことが言えなくなってしまうのであれば、それこそ本末転倒ではないか!
むしろ幹部であればあるほど、おかしいことには「おかしい!」と声をあげるべきではないか!”と。
創価学会の役職は“責任職”である。高ければ高いほど学会員に尽くす責任が重くなる。幹部でありながら、師匠の精神をないがしろにし、会員同志を苦しめる罪が重いことは当然である。
創価三代の思想と精神に違背する安保法制を推進し、本部職員の不正・不純を隠蔽する狂った原田現執行部の罪は、“最大級に重い”!
「鉄は炎打てば剣となる賢聖は罵詈して試みるなるべし、我今度の御勘気は世間の失一分もなし」(佐渡御書、御書958頁)
不当な扱いを受ければ受けるほど、Aさんは闘魂を燃やしていった。
2016年12月、Aさんは2回目となる学会本部前サイレントアピールに、なんと同志であるBさんを誘って参加されたのである。
すさまじい気迫と勇気である!
そして、大誓堂前で厳然と、本部執行部に抗議するプラカードを掲げ続けたのである。
終了後、初参加のBさんは語られる。
「元職員と直接話をして、とても嘘を言う人たちではない、信じられる。」
「これほど多くの方々が真剣に今の創価学会を変革したいと行動しているのが判った。これには正直驚いた。」と。
また一人良き理解者が増えたことにAさんは歓喜した。
しかし、前進するAさんにいよいよ「難」が競い起こっていく。
サイレントに参加した友人Bさんに対し、県長による『懇談』という名の査問が行なわれたのである。
自分が苦しむのであればよい。自分は師匠のために命を使うと決めている。しかし、友の苦しみは、あまりにも苦しかった。
しかも友人Bさんが懇談の場に行くと、Bさんの実のお姉さん夫婦も同席させられていたという。
「身内を動かし説得を図る」――学会本部の常套手段である。
あまりに汚いやり方ではなかろうか。執行部はいったい創価学会をどうしたいのだろうか。
まったく関係ない姉夫婦まで巻き込む。さすがにこれには温和な友人Bさんも憤りを隠せなかった。
それだけではない。
なんと総県長と県長は、Aさんをおもんばかる振りをして、Aさんの職場の社長(学会員)にまで手を回してきたのである。
あり得ない。絶対にあり得ない!職場にまで手を伸ばしたのである。
「Aさんが現執行部に敵対している活動をしている。学会から除名された輩との連携は悪同志であり、止めさせた方がいい。このままではAさんの処分もやむを得ない」と。
しかし、Aさんに対する社長の信頼は厚かった。
Aさんもまた、社長を信じて、不要な誤解や偏見が残らないように、御書と三代会長の御指導に照らして創価変革の闘いが間違っていないことや、現執行部が師匠に敵対していることを真剣に話した。
社長はAさんの正義感を認めてくれたのである。真面目に職場で実証を示されてきたAさんの、日ごろからの信頼の賜物であった。
あまりに偉大な不軽菩薩のような闘いである!
師匠の模範の弟子とはAさんのような方のことを言うのだ!
いかなる圧力にも屈せず、闘い続けるAさんに対し、総県長・県長はいよいよAさんを直接会館に呼び出した。
総県長は手元に分厚い資料を置いて、それを見ながら、Aさんに『学会本部前サイレントアピール』や『創価変革の座談会』への参加状況を確認する。またインターネットの掲示板などへの投稿内容などの事実関係を問い詰めていく。
そして、こう言い放ったのである。
「あなたは“反執行部”なのに、なんでまだ創価学会に籍を置くのか?」と。
なんとAさんに自主退会を迫っていったのである。
どこまで傲慢な人間なのだろうか。自分が創価学会だと勘違いしている!
Aさんは厳然と言い放った。
「自分から退会することは、絶対にありえません。」と。
さらに総県長はAさんに最後の質問をした。
「今後も除名になったメンバーとの連携を続けますか?」
「あなたの考えを変えるつもりはありませんか?」と。
まさに『踏み絵』である。
「はい」と答えれば、苦しい茨の道が待っていることは容易に想像できた。
むろん「間違っていました」と言えばすべてが楽になる。しかし、自分のすべてを創って下さった大好きな大好きな先生を裏切ることだけはできなかったのだ。
Aさんは幹部の目を見つめて言った。
「変えるつもりはありません。」と。
すると総県長は、冷酷な一言でその場を閉じた。
「県・総県の監査委員会で検討して学会本部に上げ、その上で県長から話が行く」と。
もはや対話ではない。権力を使った「脅し」である。
2017年4月15日、地元の会館に再び呼び出されたAさんに、県長は口頭で通告する。
「学会本部の人事委員会で検討した結果、Aさんの役職を解任することになりました。」と。
とうとう「役職解任処分」が下されたのである。
しかも、理由は「執行部を批判したから」というものであった。
師匠を批判したのではない。弟子として師匠の仰せを護りたかったのだ。だからこそ声をあげ、対話をしなければと戦ったのだ。
しかしその行動が「役職解任処分」である。
Aさんは解任処分になった直後、野口に電話を下さり、晴れ晴れとした口調で語ってくださった。
「私は間違ったことは一切していません。正しい基準のもと、自分の頭で考え始めただけです。
県長は私を、創価学会を批判している人間と言いますがそうではありません。私は、三代会長が命懸けで築いて下さった創価の絶対的平和主義を破壊しようとする現執行部に、言うべきことを言っているだけです。現執行部は、師に敵対している。だから、我々は声をあげねばならないのです。
いよいよ池田門下の私たちが、おかしいものはおかしいと言い切っていきなさいと仰る師匠の厳命を、実践する時が来ていると思うんです。」
正義を叫んで役職解任。
なんと誉の迫害であろうか!
Aさんの行動はすべて師匠のため、創価のためである!
自分のためなど一つもない。
Aさんは深く深く憂慮されていた。
“今の創価の活動には何が正しくて何が間違っているかを、一度立ち止まって考えることがない。
その結果、戦争が出来る安保法制を成立させ、平成の治安維持法と言われる共謀罪法までも成立させてしまった。
何としても今の創価を、師匠が理想とされる創価に変革する必要がある!”と。
Aさんは憤りの声を上げ続ける。
「自民党に加担し、悪に魂を売った公明党はもはや解党するしかありません!
そして、広島・長崎の被爆者の方々が長い間待ち望んだ、核兵器禁止条約が賛成多数で採択されても、何の声明も出さない現執行部は全員即刻退陣するしかありません!」
師匠の思想と精神を守り抜くことこそ、真の池田門下の使命の闘いであり、責務である!
師匠の仰せに背く原田執行部と、師匠の仰せを根本に行動する創価変革の同志。
どちらが正しいか、正邪は歴然である!
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