「青年は心して政治を監視せよ!」
戸田先生が青年部に対して残してくださった、あまりに有名な叫びである。
戦前、牧口初代会長、戸田第二代会長は、軍部権力が思いのままにのさばる中で、「立正安国」そして「平和」を叫び抜き、牧口先生は獄死なされた。
戦後にあっては、青年部室長であった師匠・池田先生が、無実の罪で牢獄につながれる。創価学会の拡大をおそれた権力からの迫害であった。
創価学会の原点、そして三代会長の戦いは、日蓮大聖人御遺命の「世界広宣流布」を実現する中での、「権力の魔性」との命を懸けた戦いに貫かれている。
しかし、今の原田執行部を中心とする学会本部、そしてその学会本部が支援を決定している公明党に、果たしてその根本精神があるのであろうか。
私にはそのような精神は皆無、いや、むしろ権力にすり寄り、“ブレーキ役”という偽善の仮面をかぶった「アクセル役」になっているとしか思えない。
世界中の国々が、新型コロナウィルスの感染拡大に対して、国民(民衆)の生命・身体そして生活を守ろうと懸命に政策を進めている。
そうした中、日本では、公明党が一翼を担う政権与党が、あまりに国民を馬鹿にした政策を続けている。
先般も、この世界的混乱に乗じて“火事場泥棒”とすら言われるあまりにも汚いやり方で、自らの権力基盤を強化しようとしたのである。
いわゆる“検察庁法の改悪問題”である。
本年3月13日、検察庁法の改正案が閣議決定された。
しかしこの改正案は、単に検察官の定年を引き上げる法案だけではなく、内閣の判断によって検察のトップである検事総長などの定年が最長3年間延長される「特例」を設けたのである。
すなわち、この「特例」とは、内閣を守り内閣にとって都合の良い捜査を行なえば定年を最長3年間延ばすというものになり、逆に政権にとって都合の悪い捜査をする場合は延長はしない、もしくはいったん延長されても再延長がされないことを明言しているような法案になる。
まさに、内閣が検察を“アメとムチ”で飼い慣らすことを目的としたような法案であり、「検察による権力の抑止」を無力化させる「権力の魔性」の働きにほかならない。
もともとこの問題の根っこは、本年1月31日に閣議決定された、“官邸の守護神”と揶揄される東京高検検事長である黒川弘務氏(当時)の定年を半年間延長するとの決定にあった。政治家の汚職を摘発してきた捜査機関のトップの人事に、官邸がここまで露骨に手を突っ込んだのである。
そして安倍内閣は2月13日、それまでの歴代内閣において“検察官に対しては適用されない”と解釈されていた国家公務員法第81条の3が“検察官にも適用される”との見解に“解釈変更”したのである。
立法機関である国会が定めた法律を、行政機関である内閣があり得ない解釈変更をして捻じ曲げることは、明らかに日本国憲法が定める「三権分立」を否定する大暴挙であった。
それにもかかわらず公明党は、政権与党にいるにもかかわらず、なんと反対するどころか賛成に回ったのである。
さらには、この法案に対する反対の声を批判するといった、ありえない態度に出ているのである。
5月14日、記者会見で公明党の北側一雄中央幹事会長は、国家公務員法改正案に含まれる検察官の定年延長問題に対し、野党などから「三権分立に反する」との批判が強まっていることに反論。
平然と「検察官は一般職の国家公務員という位置づけで、検察庁法に書いていないことは国家公務員法の適用になる。三権分立に反するという主張は理解しがたい」などと述べたのである。
法律には、「特別法(検察庁法)は一般法(国家公務員法)に優先する」との法理がある。
むろん北側氏は弁護士資格を持っており、そうした法理や三権分立の意味を知らないはずはない。
しかし検察は行政組織ではあるものの、他の省庁とは明らかに異なる性質をもち、起訴権限を原則的に独占している。また、準司法的な役割を担っており、時には政界捜査にも切り込むなど、裁判官に準じた強い身分保障が認められている。
したがって、総長らの任命権は内閣にあるものの、幹部の人事については、歴代内閣は法務・検察全体の意思を尊重してきた。政治からの影響が排除され、検察人事の自律性が保たれ、三権分立を保ってきたのだ。
それにも関わらず、「検察庁法に書いていないことは国家公務員法の適用」だとして、自立性を保つべき検察に対し、「特例」を設けて内閣が検察トップの人事に介入したり、内閣による解釈だけで法律の解釈運用を変更することなどあってはならないことは自明の理である。
要するに、北側氏の「検察官は一般職の国家公務員という位置づけ」との発言は、明らかな詭弁である。
――“政治を監視する”どころか、自公政権の狂った法案を通すために、意図的に誤った意見を述べて公明党員そして創価学会員を騙す。――
こうした北側氏の発言は、公明党が“政権のアクセル役”になっていることを証明する端的な分かり易い例であろう。
さらには、公明党の党首であり同じく弁護士でもある山口那津男氏は、5月12日に自身のツイッターでこう発言した。
「検察官の定年延長を含む検察庁法改正案の趣旨が国民に伝わるよう、政府として丁寧に説明していただきたい。
検察官は一般職の国家公務員でもあり、一方で司法の担い手の一翼でもあることを踏まえて制度化を図っているという趣旨がよく理解できるよう、説明責任を尽くしてもらいたいと考えます。」
これに対し、ツイッターのフォロワーから、「政権与党の一員として、自身が説明を」「人ごと感がひどい」「法案に反対しないならもう支持しない」などなど、多くのコメントが殺到。山口氏のツイッターは大炎上したという。
当然である。
政権与党として、自民党の狂った政策に対しては徹して対話し、変革していくべき立場のリーダーが、まったく問題を他人事にしているからである。
“傍観は最大の悪”と捉える信仰こそ、日蓮仏法の根本精神ではないか。
しかし、山口党首のこの発言には、そうした根本精神も、自分が主体者であるという責任感も、三代会長が命をかけてされてきた「“権力の魔性”との闘争の精神」も皆無である。
そもそも、この検察庁法の改悪問題は、創価学会にとっても絶対に見過ごすことができない問題なのである。
なぜならば、この法案が通れば、権力が意図的に検察を動かし、あらゆる団体に対して恣意的に捜査をすることがより一層容易になるからである。
もし将来、創価学会を煙たがる政権が生まれた場合や、公明党が政権から離脱した場合に、創価学会の影響をおそれた時の権力者が創価学会を弾圧するといった危険が高まることになるのである。
それにもかかわらず、創価学会の原田執行部は、この検察庁法改悪問題については口をつぐんだままである。まるで創価学会に対する権力の弾圧を恐れて、政権におもねっているようである。
「権力の魔性」に骨抜きにされた姿が、ここにある。
私は叫びたい!
“原田会長よ!権力の弾圧によって獄死なされた牧口初代会長の殉教の歴史を忘れたのか!
検察庁法改悪の問題は、創価学会にとってけして“他人ごと”ではない!
創価学会として、公明党の陰に隠れるのではなく、厳然と反対の声を上げるべきである!
今こそ、権力と命がけで戦われた三代の精神を呼び覚まし、徹底的に戦うべきだ!”と。
(●133 原田会長よ、検察庁法改悪の問題に声を上げるべきである!(下)に続く)
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