先日7月31日、関西創価高校において、あってはならないことが起こってしまった。
高校3年生の男子生徒が、校舎の屋上から飛び降りて死亡したというのである。
報道によると、この日は夏休み期間中であったが、部活動のため登校していたその男子生徒は他の生徒2人と共に校舎内で生活面の指導を受けていた。しかし、突然その男子生徒が部屋を飛び出し、屋上にあがり、高さ約1.2メートルの柵を乗り越え、校舎のへり部分を歩いた後、しゃがみ込んだ。
この校舎の壁面で足場を組んで外壁工事をしていた作業員の男性は教師らと、飛び降りないよう生徒を説得した。またその間、学校側は「4階建て校舎の屋上から生徒が飛び降りるかもしれない」と110番通報をした。
しかし、通報から約40分後、生徒は高さおよそ12メートルの屋上から飛び降りたのである。
生徒は病院に搬送されたが、まもなく死亡。また、生徒の飛び降りを制止しようとした足場工事の男性も一緒に転落し、大けがをしたという。
私はこの報道を知ったとき、絶句した。
そして、御本尊の前に座り、お題目を送らせて頂いた。
この男子生徒が、生命の法則に則り未来に生を受けた時、師匠の創立された創価学園の卒業生となって日本・世界で活躍するリーダーになって欲しいと強く強く祈念した。
本当に本当に、痛ましい出来事であった。
男子生徒がどれほどか苦しい思いをしていたかと思うと胸が張り裂けそうになる。
少なくとも、私が創価学園(東京校)にいた頃は、そんなことは一切なかった。創価学園という場所で、このような事件が起きるなど、想像もしてなかった。
この生徒がどのような生徒だったのか、また、生活指導をされていた教師との間でどういったやり取りがあったのか、詳細は分からない。
しかし、師匠の創立された創価学園の教師となった指導担当の先生は、きっと、一生懸命にその生徒のために悩み、祈り、その生徒のためを思って語りかけてくれていたはずだ。私はそう信じている。
それでも、どこかにずれが出てしまったに違いない。そうでなければ、生活指導中に教室を飛び出して屋上に上がるという事態にはならないはずである。
もしかすると、指導を担当された教師の中にも、想像を絶するストレスや葛藤があったのではないか。
結果論と言われるかもしれないが、やはり、創価学園の中に、どこか一生徒の心の苦悩を解決することができない原因があったのではないかと、思わざるを得ない。
同校の大月昇副校長は「生徒が突然屋上にあがった理由は分からない。生徒指導に問題はなかった」とコメントしたようである。
私には、学校の責任者である人間が語ったこの発言に、どこか“学校に非はない”という事件の本質に向き合おうとしない命があるように感じた。他人事のような発言であり、どうしても責任感を感じることができなかった。
もっともっと、生徒の心の苦悩に、そして指導に当たった教師の内面に向き合うべきではないかと思うのである。このような事件を二度と起こさないようにするために。
昨年には、創価学会本部職員(聖教新聞社職員)であり、当時全国少年部書記長を務めていた人物が連続放火魔として逮捕されるという大事件があった。
その犯行の動機については、「仕事のストレスを解消するためにやった」と供述していたと報道されていた。
人間に尽くすために志願した本部職員にもかかわらず、職場である学会本部内のストレスを解消するために連続放火をする。放火は、一つ間違えれば、多くの家屋に炎が拡大し多くの死者・負傷者を出す可能性のある、非常に危険な犯罪である。それを、生命の尊厳を護り、会員を護り抜くべき本部職員が行ってしまった。まさに、前代未聞の大事件である。
しかしながら、その本部職員は全国少年部書記長ほどの重責を担う人材だったはずである。志を抱いて創価学会本部の職員として生きる人生を選択した彼が、なぜ、人の死を招きかねない連続放火をするほど、ストレスを抱えてしまったのか。この事件を、一人の本部職員が起こした個人的な問題として片づけてしまって良いのか。
いや、それは絶対に違う。
創価学会の伝統として、創価の「人事」とはあまりに厳格なものであり厳正なものである。少年部の全国幹部という、創価の宝を育てる役割を担ったその職員は仕事にも誠実に取り組んでいたはずである。その彼が、「仕事のストレスを解消するためにやった」と供述しているように、創価学会本部として考えなければならない問題点や、変えるべき組織の問題点があるのではないかと感じてならないのである。
新型コロナウィルス感染症によって日常生活が激変してから、既に1年半以上が経過した。その間、人と人との交流は「自粛」という名の下に閉ざされ、人間と人間の魂の対話が失われた世の中になっている。
そして創価もまた例外ではない。皆で集まって腹の底から心おきなく題目をあげ、学会歌を歌うということができなくなってから、随分と経つ。
師匠のお姿も久しく見ていない。そして、師匠の本当の状況は、学会員には伝わってこない。
これまでも繰り返し伝えてきた通り、私は、今の創価に巣食う「対話不在」「幹部中心」の学会本部のやり方は、三代の師匠が築き上げてこられた麗しい創価の世界を破壊するものであると考えている。そして、今回の関西創価高校の出来事、そして本部職員による連続放火事件は、その創価が抱える問題が、一人一人の会員や職員にまで波及してきていることの現れではないかと感じてならない。
学会本部の中に「一人を徹底的に大事にする精神」がなくなっていることを示す象徴的な現証が出てきたと思えてならない。
今から9年前、私は学会本部職員だったが、そのときに体験した原田会長ら学会本部執行部の姿は、今もって脳裏から離れることはない。師匠池田先生の精神を全く感じられることのない姿であった。
「魚は頭から腐る」
すべて創価の組織の問題の元凶は、どこまでも創価学会本部執行部が師匠池田先生の精神を見失っていることに尽きる。
師匠はおっしゃっている。
「幹部のための学会ではない。会員のための学会である。断じて学会員を苦しませてはいけない。そのためにも、おかしな幹部がいれば、皆で声をあげていくのである。『学会の指導と違うではないか!』『師匠の言っていることに反しているではないか!』と。
そうやって皆が強く叱咤・激励して、立派な指導者をつくっていけばいいのだ。」(池田名誉会長指導)
「会員のための学会である。」
「断じて学会員を苦しませてはいけない。」
この師匠の心こそ、創価の根本精神である!
「人間よりも組織の維持を優先する。」
この転倒した心とは徹底して戦わねばならぬ!
人間を見失った心こそ創価の組織を破壊する元凶である!断じて断ち切らねばならない!
そして今の転倒した創価を、必ずや師匠の仰せ通りの創価へと変革する決意である!
追記:報道によると、8月7日、男子生徒を制止しようとし、一緒に転落、重傷を負った工事作業員の男性が入院先の病院で亡くなられたとのことである。
ただただご冥福をお祈りいたします。
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