今般12月14日、政府は沖縄・辺野古に新たに米軍基地を建設するために、絶滅危惧種のジュゴンが生息する美しき海に、ついに土砂の投入を開始した。
辺野古への新基地建設については、沖縄県民が9月の沖縄県知事選挙で明確に「NO!(建設反対!)」の意思表明を出している。さらに明年2月24日には、“基地建設の是非を問う”ための「沖縄県民投票」も行なわれることが決定している。
それにもかかわらず、沖縄県民の意思・考え・気持ちを完全に無視した強行的な建設工事を再開したのである。
安倍首相は衆院本会議で、「沖縄県民に寄り添う」などとも話していたが、沖縄県民の感情を逆なでしているようにしか見えないのは、私だけであろうか。
さらに岩屋防衛相は工事再開についてこのように語るのである。
「日本国民のためだ」「抑止力を減退させるわけにはいかない」と。
結局、沖縄に平気で犠牲を強いる政府が自らを正当化させるための論拠は、“平和のためには抑止力がなければならない”という「抑止力信仰」である。
しかし、抑止力を土台とした平和に、真の平和があるのだろうか。
互いに銃を突きつけ合った関係に、安心感などあるのだろうか。
普通に考えればわかる話である。
いわんや公明党議員は池田先生の弟子である。ならば当然のごとく分かる話である。いや、それどころではない。「抑止力信仰」とは断じて戦わねばならぬ立場であるはずだ。
しかし、その公明党がこの政府のやり方を率先して進めているのである。結党以来、とんでもない事態となっていると感じるのは私だけではなかろう。
私の元には、マスコミすら「公明党の変遷について考えを聞かせて欲しい」と連絡が来ている。誰の目から見ても明らかに変わってしまった。
“大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく”との立党精神を掲げた公明党。
民衆の声を誰よりも聴き、民衆から学び、問題解決の糸口を探していく。これが本来の役割のはずである。
ところが現在の公明党は、自民党の単なる“腰ぎんちゃく”に成り下がり、完全に自民党の言いなりとなってしまっている。
前沖縄県知事の故翁長雄志(おながたけし)さんが命を削っておこなった「辺野古埋め立ての承認撤回」に対し、公明党の石井国交相は、「執行停止の決定」を下した。この決定は、その最たる例であろう。
この時の政府の一連の不当な動き(請求)に対して、沖縄県は250頁にもわたる意見書を提出した。しかし石井大臣はこの意見書の提出からわずか5日後に、いともたやすく「執行停止の決定」を下したのである。
なんと無慈悲な弟子の振る舞いであろうか。なんと議員の意味を勘違いした愚行であろうか。
こうした石井大臣(公明党)を中心とした政府の“自作自演”のやり方に対し、野党からは「沖縄県の提出した意見書をしっかり読んだうえでの判断なのか?」との批判の声が上がった。
しかしこれに対する石井大臣の回答はこうだった。
「要点は読んだから全文は読む必要はない。」
そこには民の心を分かろうとする心は微塵もない。微塵もないのだ!
いったい全体、公明党はどうしてしまったのか。
そこには先生の弟子としての振る舞いは、全くない。
また、温かな人間性は一切感じない。
そもそも、政治家である前に一人の人間ではないのか!
一人の正義の心を持った人間ではないのか!
人間としての誠実な振る舞いを忘れて、立派な政治などできるはずがない!!
公明党が与党になって16年、「国家権力」という名の「魔性」に骨抜きにされ、人間の心の痛み、苦しみ、悲しみを感じることのできない、血も涙も通わない大臣を私たちは誕生させてしまったのである!
しかし私は諦めない!!
断固、先生の弟子として訴え続ける!
“学会員の手弁当で当選させてもらいながら、民衆に牙をむく不知恩の石井大臣を即刻除名・追放すべきである!!”と
創価学会が公明党を発足させた理由は、日本の国家主義化・軍国化の流れを止めることにあった(新・人間革命第11巻・暁光)。
それにもかかわらず、自公政権によって日本が国家主義・軍国主義の方向へと向かう流れをつくった。
それが、2014年7月1日の「集団的自衛権の行使容認の閣議決定」である。この閣議決定こそが、公明党が完全におかしくなったターニングポイントであろう。
この時、公明党は自民党の圧力に完全に屈服し、それ以降、自民党に抵抗することが出来なくなった。
この時以来、日本の軍事・防衛費は右肩上がりに上昇していく。来年2019年度の防衛費予算は過去最高を更新し、なんと5兆3千億円の見込みとなっている。
さらには今般、政府は『防衛計画の大綱』なるものを閣議決定した。アメリカから1機150億円の最新鋭ステルス戦闘機(F35B)などを購入する。
なんと、計105機も購入するというのである。
さらには、それら戦闘機を配備できるように「護衛艦いずも」を改修して『空母化』するというのだ。
結果、2019年から2023年の5年間の防衛費が27兆4700億円になるとのことである。
「27兆4700億円」――いったい全体、そんな大金がどこから出てくるのか?
その大金はすべて、私たち国民から搾り取った血税である!
社会保障では財源がないと言いながら、防衛費は金に糸目をつけない。
もはや私には完全に狂っているように思えてならない!
そんな大金があるなら福島の原発事故の収束や近年の自然災害の被災者支援、またあらゆる社会的弱者の方々の救済のために使うべきではないか!
現実に苦しんでいる方々がたくさんいるのだ!
150億の戦闘機など買っている場合ではない!
国民を欺き、馬鹿にするのもいい加減にしろ!と私は声を大にして言いたい!
繰り返すが、公明党が決定的に変節したターニングポイントは、あの自民党に屈服した「2014年の集団的自衛権の行使容認の閣議決定」である。
あの時、憲法9条の解釈が完全に変質させられ、憲法9条が実質的に破壊されてしまった。
ボタンを掛け違えたところまで戻らなければ、正しくボタンを掛けなおすことはできないことは道理である。
そして重要なことは、こうした公明党にしたのは、他でもない学会本部、特に原田会長を中心とする本部執行部だということである。
私には公明党よりもさらに責任が重いと感じてならない。
公明党の議員は、自力では一人も当選することはできないのだ。創価学会員の支援にすがる公明党は、創価学会の原田執行部には、頭が上がらない実態がある。
ゆえに、私たちはこの度の12月29日のサイレントアピールで、学会本部特に原田執行部に対して、以下のスローガンを訴えることを決意する。
「憲法9条の意味を事実上変えてしまった
2014年の『集団的自衛権の行使容認の閣議決定』を白紙撤回させよ!」
「沖縄・辺野古の新基地建設を即刻中止させよ!
沖縄および日本の米軍基地の段階的全面撤去のために公明党を戦わせよ!」
師匠池田先生は、創価大学の学生を前にして、「建設的な批判」をすることの重要性を教えて下さった。
「私が申しあげたいのは、創価大学に対しても、創立者に対しても、批判をしてはいけないということは一つもありません。いくらでも批判してけっこうです。
また、私はご存じのように創価学会の会長であります。創価学会に対しても、信仰についてもいくらでも批判しても結構です。
大学としても、学会としても、また私としても、反省すべきことは反省しなくてはならないし、改めるべき点はいさぎよく改めねばならない。諸君が創価大学に学んでいるのだから大学のことをはじめ、すべてに対して厳しい発言ができないなどという考えは、誤りである。
皆さんが真剣に物事を思索し、言いたいことがあれば、何を言ってもよいし、いかなることを論じてもよい。自由奔放であっていただきたい。これだけは、はっきりと申し上げておきます。」(1972年7月6日)
あまりに、あまりに深き師匠のご慈愛に、涙が込み上げてならない。
「対話」こそ創価の生命線であることは自明である。
師匠の行動は常に「勇気の対話」と共にあったのだ。
ならば、三代の仰せを根本に、原田執行部に対して懸命に建設的な「意見」「批判」をする学会員は絶対的に正しいのだ!
また逆に、そうした会員の声に耳をふさぎ、「執行部批判」との理由で処分する原田執行部は、絶対に、絶対に間違っているのである!
師匠の仰せに照らし間違っているのである!
会長は特別ではない!
誰よりも会員に尽くし抜き、下から支える存在が本来の創価学会の会長であり、学会本部である!
友よ!我が友よ!
今こそ立ち上がろうではないか!
「会員が上、会長は一番下」
師匠がそう叫ばれた創価学会を 弟子が取り戻すのだ!
師匠の創価を護るのは 弟子の私である!
幹部ではない!
ましてや
執行部ではない!
むろん
力のない私ではある
弱い私である
不甲斐なさすぎる私である
しかし
そんな私に
師匠は何度も何度もおっしゃった
「創価を頼む!」
こんな私に必死に分かってもらおうと
師匠は何度も何度もおっしゃった
「あたなが創価学会なんだ!」
それでも私は
分からなかった
心が分からない私に
師匠は叫び続けた
「師匠は私だ!」
何度も語る師匠の心に
私は今になって・・・
今になって・・・・
師はこんな私はダメダメだ
でも
そんな私でも
生きる希望を下さった
私は絶対に忘れない!
温かな心に
涙した日を絶対に忘れない!
師の温かさこそ正義! 誰に何を言われようが 私はそう信じる! 私はあの温かな希望を取り戻すために 何度だって叫ぶんだ! 「創価よ! 民衆のための創価よ! 師匠の創価に帰れ!!」と
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