「諸宗は本尊にまど(惑)えり」(御書215頁・開目抄)
「本尊」とは、宗教において根本として尊敬し、礼拝する対象である。しかし、“誤った宗教は、その「本尊」が定まっていない”との日蓮大聖人の御指摘である。
まさに今の原田現本部執行部の迷走を鋭く突く御金言だと思えてならない。
2014年、学会本部の原田現執行部は、創価学会の教義の根幹である『御本尊』に関わる事項を改悪したのである。
すなわち、『創価学会会則』の第2条(教義)に書かれた、
「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊を信受し」との箇所を、
「根本の法である南無妙法蓮華経を具現された三大秘法を信じ」に変更し、“一閻浮提総与の大御本尊”という記載を削除したのである。
そして原田会長は、この変更について全国総県長会議でこう説明した。
「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、全て根本の法である南無妙法蓮華経を具現したものであり、等しく『本門の本尊』である」と。
さらには、「大謗法の地にある弘安2年の御本尊は受持の対象にはいたしません」と臆面もなく述べたのである。
「弘安2年の御本尊」すなわち『一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊』を否定。全くもって信じがたい改定である。 これは、かつて本尊が雑乱する世相の中、戸田先生と池田先生が「弘安2年の御本尊(大御本尊)」を「信心の根本」として、必死の闘いで確立されてきた「創価学会の教義・教学」を、根底から覆すことになる。 これまで創価学会として、「一大秘法である『大御本尊』から三代秘法は開かれる」と説明してきた。 また師匠池田先生は、創価学会が宗門から破門された以降のご指導においてさえ、 「大聖人の出世の本懐である一閻浮提総与の大御本尊が信心の根本であることは、これからも少しも変わらない。(中略) 世界のいずこの場所であれ、御本尊を信じて、純真な『信心』の一念で唱えた題目は、即座に大御本尊に通じていく。」(1993年(平成5年)9月16日アメリカSGI最高会議)と明確におっしゃっているのである。 『大御本尊が根本』であることは、宗門が邪宗となろうがそうでなかろうが全く関係なく、初代・第二代・第三代の師匠を永遠の指導者と仰ぐ創価学会においては、“永遠に変わらぬ『根本の教義』”なのである。 さらに学会本部は、日蓮大聖人が書かれた御本尊とそれを書写した御本尊はすべて等しく「本門の本尊である」と変更した。
しかしこれは、たとえば大聖人が書かれた御本尊を書写した人間が、身延山久遠寺や池上本門寺などの日蓮大聖人が「末法の御本仏」であると信じない僧侶であったとしても、その御本尊も等しく「本門の本尊」であると改定したことを意味するのである。
まさに本尊が雑乱する世の中に逆戻りさせる大謗法の改定である。
そしてこの教義改悪以降、学会本部はタガが外れたように、三代の師匠が築き上げた教義を壊し、邪宗化し続けている。
2015年には『お経本(勤行要典)』を改悪(「一閻浮提総与・三大秘法の大御本尊への報恩感謝」を削除)、2016年には創価学会会則の第10条(地位)に、「会長は、『三代会長』を継承し、(中略)この会を統理する」と変更、会長に権能を集中させる改悪を行なう。さらに2017年には原田会長に世界のSGIの人事・お金の一切の権限を集中させる『創価学会会憲』なるものを制定したのである。
いずれの教義変更も「人間の尊厳」と「人間の無限の可能性」を顕した「大御本尊(日蓮大聖人の命)」を除外(否定)し、原田会長という権力者にあらゆる権能を一極集中させ、独裁的な組織を構築する方向への変更であると思えてならない。
学会本部・本部職員はいったい何をやっているのか!
創価学会は学会員が「主役」であり、職員は学会員の浄財で生活をさせて頂いている身分であり、学会員に奉仕する立場である。その職員が、会員の尊厳と無限の可能性を否定し、「会長が上で、会員が下」の組織を創っているのである。
まさに師匠と同志に対する裏切りであり、広宣流布を内部から食い破る『師子身中の虫』の行為である!
学会本部が根本である「御本尊の教義」を改悪したことにより、今、現場の心ある学会員の方々は、何が正しいのか、混乱させられている実態がある。
先日、ある同志の方から苦しそうな声でご連絡を頂いた。
「今、創価変革の動きは日に日に大きくなってきています。しかし、それと共に、師匠の仰せとは違う動きが始まっているんです。」と。
なんと原田執行部に「おかしい」と声を上げている人の中に、「創価学会が授与している日寛上人の御本尊は間違っており、創価学会には功徳がない。」という話をもっともらしく語る人が出てきているという話であった。
同志は思い詰めたように語ってこられた。
「もちろん原田執行部はおかしいです。しかし、日寛上人の御本尊を否定するのは、いかがなものか。日寛上人の御形木御本尊は、先生も認められた御本尊です。それを否定することは先生を否定することではないのでしょうか。」と。
『日寛上人の御本尊が間違っている』――根本にある“原田執行部の狂い”によって、本尊が雑乱することになった。そして創価の清浄な信心の血脈が着実に濁り、現場の会員さんが苦しむ事態が生じ始めている。私はそう感じた。
今から28年前の1990年(平成2年)12月、宗門は創価学会の破壊を企て、池田先生を総講頭から罷免。翌1991年(平成3年)11月には創価学会を破門した。池田先生への嫉妬にかられた天魔・日顕が、一閻浮提総与の大御本尊をいわば“人質”にし、御本尊の下付を断てば学会員が自分の信者になると考えて行なった広布破壊の蛮行であった。
そうした中、創価学会を正しく理解される栃木県の浄圓寺から真心の申し出があり、創価学会は1993年(平成5年)10月から浄圓寺所蔵の『日寛上人が大御本尊を書写した御本尊』の「御形木御本尊」を学会員に授与することを決定したのである。
池田先生は日寛上人が書写した御本尊を授与する方針となったことについて、こう御指導された。
「皆さま、本当におめでとう。(中略)創価学会が、御本尊根本の信行のあり方を教え残され、広宣流布を強く願われた日寛上人の御本尊を授与し、拝しながら、新たな広布の前進を開始することは、大聖人、日興上人、そして日寛上人の御心に適い、お喜びいただけることは間違いない。」
(1993年(平成5年)9月16日アメリカSGI最高会議)
つまり、現在創価学会が会員に授与している『日寛上人の御形木御本尊』は師匠池田先生が正式に認められた御本尊である。
私たちは師匠池田先生によって人生を救われ、生きる意味を教えいただいた。我々の師匠は断じて池田先生である。
ならば、私たちが根本とするのはどこまでいっても、師匠池田先生そして三代の師匠の仰せである。
「日寛上人の御本尊が間違っている」などと話してしまう人にも、その人なりの理由や確信があるのだろう。
しかし、今そのことを声高に叫ぶことが、本当に池田先生が喜ばれることなのであろうか。
おかしくなった学会本部を変革することにつながるのだろうか。
むしろ、これまでの師匠の御指導に照らしてみたとき、その人の姿は『本尊に迷った姿』であるように見えてしまうのである。
身近にいる、3度のガンを克服した滝川の母・滝川光子さんも話していた。
“日寛上人の御形木御本尊が間違っているというのであれば、私はその御形木御本尊に祈って3度も癌を克服した。まだまだ創価変革のために戦える体にしてくれている。この体験をどう説明するというのでしょうか。”と。
光子さんの体験からも、私には今、「日寛上人の御本尊が間違っている」と叫ぶことが、師匠が創られた創価を取り戻し、会員のための創価へと変革していく戦いに繋がるとはどうしても思えない。
しかし、こうした現場の混乱も、もとを糺せば、大御本尊を否定し、他の日蓮大聖人御真筆の御本尊とそれを書写した御本尊は全て「本門の本尊」とした学会本部の教義変更にその根があることは明らかである。
師匠は明確に仰せである。
「師弟の道は峻厳である。
牧口先生、戸田先生は命をかけて広宣流布のために戦い抜かれた。
第3代の私もまた、あらゆる迫害の嵐を乗り越えて、広布のため、妙法流布のために生き抜いてきた。尊き同志とともに、今日の世界的な学会を築いてきた。
初代、2代、3代の会長が、大聖人の御遺命のままに戦い、『師弟の道』に徹し抜いてきたからこそ、創価学会は大発展を遂げたのである。
この『師弟』の一点を忘れて、広宣流布はない。
かりにも『自分が偉い』などと慢心を起こし、師弟の精神を忘れれば、そこから狂いが生じていく。信心の正しい軌道から外れていく。
厳しいようだが、未来のために、あえて言い残しておきたい。」
仏法の根本の「師弟」を忘れて己義を構え、大御本尊を否定し、創価三代の師匠が築き上げた教義を破壊し続ける原田現本部執行部はまさに師敵対であり、大謗法以外の何ものでもない! 「根本の御本尊」を軽んじた原田執行部の狂いが、創価の信心の血脈を狂わせ、まさに本尊雑乱の様相を来しているのである。 私は叫びたい! やはり師匠に違背する原田執行部こそ、あらゆる狂いの根源であり、学会本部の変革なくして師匠が創られた温かな創価学会を取り戻す戦いはあり得ない! 今こそ、原点である師匠の指導に立ち返るべきである!と。 「御本尊の教義」は宗教の根幹である。 そして宗教は民衆のものである! 一部のエリートたちの独占物では断じてない! 早急にこの狂いを糺さねば、創価学会は本当に崩壊してしまう。 ゆえに私たちは、「12月29日の学会本部前サイレントアピール」で、以下のスローガンを掲げることを決意しました。
『2014年以降の教義変更を白紙撤回せよ!!
三代の師匠が築かれた
「大御本尊根本」の教義に戻せ!!』
原点を忘れぬ人は強い。 しかし、原点を忘れれば、破壊は一瞬である。 今、創価の執行部は原点を完全に見失っている。 ならば、三代の師匠の思想と精神を守り、受け継ぐために、 現原田執行部を全力で折伏せねばならない! 友よ! ともに学会本部前に立ち、全力で訴え抜こうではないか! 原田執行部よ!目を覚ませ! 一度で良いから私たちと会って話をすべきである!と。 創価の未来を築くのは、私たちである。 誰よりも創価を愛する、私たちである!
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