先日14日(日)、創価変革の矢面に立って闘われる篠澤協司さんの地元である埼玉・坂戸の地で行われた「創価家族の座談会」は、“感動の涙”と“歓喜の笑い”がこぼれる、温かな決意みなぎる座談会となった。
急遽、ご登壇を快く受けてくださった“沖縄県知事選を闘われた同志Aさん”の話は、私の胸に深く突き刺さった。
「よく『沖縄の基地問題』と言いますが、本当にそうなんでしょうか?
国の防衛、安全保障をどうするかということですよね?
だとしたら、これは日本の基地問題なんです。」と。
今から約60年前の「60年安保闘争」の頃、沖縄はアメリカの施政下に置かれ、日本でもアメリカでもない無国籍状態であった。そして、当時、本土にあった米軍海兵隊のうち、岐阜、山梨、山口などの海兵隊施設が次々と沖縄に移設されていったのである。
選挙権もなく、反対する術もない沖縄の方々は、本土の基地をただ一方的に押し付けられた。
こうした歴史的な背景から、現在の日本では、“在日米軍施設・区域(専用施設)のうち「面積にして約74%」が沖縄に集中している”という異常な状態となっているのである(2015年度版防衛白書)。
戦時中のみならず、現在においても“本土の捨て石”のごとく扱われているのである。
そもそも、今般の沖縄県知事選の最大の争点となった米軍基地の辺野古移設の問題は、もともと沖縄県民が宜野湾市にある普天間基地の撤去を求めていた問題である。
普天間基地の周辺には学校が16校、病院、市役所もある住宅街で事件や事故も多発し、1995年に沖縄米兵による少女暴行事件が起こったことがきっかけで「普天間基地」を撤去することになっていった。
しかし、それがなぜか、「名護市・辺野古」に米軍基地を新たに建設し移転するという話にすり替わっていく。沖縄の人々の怒りがピークに達するのは当然である。
“なぜまた沖縄に新たに米軍基地を押し付けようとするのか。”
“基地問題は、日米安保と地位協定の問題であり、日本人全員に関わる問題ではないのか。”
声を震わせながら語られるAさんのお話をお聴きし、私自身、沖縄の方々の苦しみを如実に感じ、胸が締め付けられた。
『基地問題』をどこか他人ごとにし、自分の問題として捉えられていなかった自分を深く反省した。
かつて師匠池田先生は「新・人間革命」第13巻(「楽土」の章)の中でこう言われている。
「核も、基地もない、平和で豊かな沖縄になってこそ本土復帰である--それが、沖縄の人びとの思いであり、また伸一の信念であった」と。
そして、「通常基地の段階的全面撤去」も提言されているのである。
そもそも、師匠の平和思想の根幹は、トインビー対談で、
「武力による自衛の方向は、すでに行き詰ってきている。」
「一切の軍備は撤廃すべきであるというのが、私の信念です。」
と語られている通りである。
それにもかかわらず、今回の沖縄県知事選では、公明党・学会本部は、辺野古に新たに基地を建設することを容認する候補を推薦したのである。そして、全面的に支援したのだ。
しかも、創価学会の原田会長は、自ら期日前投票の開始直前に沖縄に乗り込み、新基地建設容認の候補を支援するよう会合で壇上から訴えたのだという。
本当にどこまで民衆からかけ離れた会長なのか!
何のための公明・創価学会なのか!
もはや、自民の腰巾着ではないか!
もはや創価三代の師匠の精神と実践を裏切る「師敵対の行為」と言っても過言ではない!
選挙結果は、公明・学会本部が支援した候補は大敗である。
“不平等に対する怒り”“平和への熱望”を胸に抱く沖縄の方々の必死の闘いによって、沖縄の地に「民衆勝利の旗」が翻ったのである!
そして、この時代の流れを変える民衆勝利の一大原動力となったのが、まぎれもなくAさんを始めとする顔と名前をさらけ出し三色旗を高々と掲げた創価変革の同志の方々であった。
「師匠の構想を虚妄にしてなるものか!」
本土から単身で故郷の沖縄に駆けつけた同志や沖縄を愛する同志たち。
皆、組織から白い目で見られることも覚悟の上で、いてもたってもいられず、師匠の弟子として正しいと信じる行動を起こされたのである。
まさにまさに、『民衆決起の大勝利劇』である!
Aさんの感動的なお話に、皆、涙、涙で大拍手を送った。
続いて、「執行部への批判」を理由に先日、除名処分された篠澤協司さんが登壇して下さった。
一会員が、安保法制を容認する原田執行部に対し、“師匠池田先生の仰せに反している”と批判しただけで、極刑の「除名」である。
なんと狭量な、なんと臆病な執行部であろうか!
しかも篠澤さんの“安保法制を推進する公明党を支援する執行部はおかしい”との批判のどこが師匠の仰せに反しているというのか。
そもそも「対話の精神」を根本とする創価学会である。
正しい批判であれば、『異体同心』の精神にのっとって、本部執行部が真摯に耳を傾け、受け止めねばならないことは当然ではないか。
むしろ、批判に耳をふさぐのであれば、それこそ師匠のご指導に反しており、執行部自身が厳しく処分されるべき問題ではないのか。
篠澤さんは、生命力に満ち満ちた声で師匠の不滅のご指導を引かれる。
『もし将来、学会の中に悪い人間が出るようなことがあれば、皆が心を合わせて一体となって戦うのだ。
“三代の会長はこう言っていた。あなたのやっていることは、おかしいではないか!”“私は師弟の精神を教わってきた。師匠から長年にわたって指導を受けてきた。あなたの言っていることは、それと違うではないか!”そう言って、立ち上がるのだ。
絶対に、悪人をいい気にさせてはならない。断じて見逃してはならない。』
まさに師弟を見失っている原田執行部の明確な狂いを、一刀両断である。
むろん創価学会は会長が絶対的な存在ではない。
どこまでも一人ひとりの会員が根本なのである!
しかし、原田会長以下執行部は、篠澤さんの声を聴こうともせず“自分たち執行部を批判した”との理由で無残にも篠澤さんの首を切り捨てたのである。
もはや完全に権力者の発想である。創価学会が自分のためにあると勘違いし、「権力の魔性」に食い破られた姿と言うほかない。
最後に、篠澤さんは渾身の力を声に込めて語られた。
「私は、師匠池田先生の御指導に背くこのような不当な除名こそ『学会を壊す』重大な師敵対行為であると、断じておきます!」
「生涯、池田先生を人生の師匠と定めた私たちは、真の同志です。
創価三代会長の思想と理念を、断じて失うわけには参りません!
皆さん共々に、真の池田門下の旗を高らかに掲げて、善の連帯を強く、大きく広げて参りましょう!」と。
会員にとって「死罪」ともいうべき「除名」の大難をもはるかに見下ろし、“師弟に生きる喜び”を全身にみなぎらせながら、勇気と希望に満ちた“創価変革への決意”を話されたのである。
師匠の教えを“そのまま実践”する、あまりに偉大な師匠の弟子の姿に、感動の拍手はしばし鳴り止まない。
そして第2部の“ざっくばらんに語り合う”懇談会も、参加者全員が、率直に何でも語り合い、互いに触発しあう大感動の場となった。
迫害の地・埼玉は坂戸で行われた座談会は、“難をも歓喜に変えゆく偉大な同志の集い”となったのである。
師匠は「戸田先生の御指導」を通し、教えて下さっている。
『仏法者として人類の平和と幸福のために行動を起こせば、必ず障魔が競い起こる。
大難が起こる。
しかし、伸一、勇気をもって進め。
生涯、あえて、難を呼び起こし続けていくのだ』(「新・人間革命」第7巻・「操舵」の章)と。
己が正しいと信じる行動を貫けば、必ず『難』が起こる。
学会本部による「除名」「役職解任」「活動禁止」「会館出入り禁止」も、間違いなく現代における『難』である。
しかし、そうした『難』を巻き起こし乗り越える中にこそ、創価三代に貫かれる師弟不二の精神と実践の継承があり、三世永遠に崩れることのない金剛不壊の己の生命を築くことが出来ると師匠は仰っているのである。
こうした思いから、この度私たちは、昨年来、もっとも創価変革のために同志が立ち上がり、理不尽な仕打ちにあわれている関西は京都の地で、11月25日(日)に『関西・京都座談会』を開催させていただく決意をしました。 迫害の矢面に立ち、言うに言われぬ葛藤と苦しみと闘い続ける関西の偉大な同志の方々は、いかなる迫害の嵐にも動じず、組織の内部から“不屈の対話の闘い”を起こされている。 あまりに偉大な弟子の闘いである! 共に、師匠を語り合い、創価の未来を語り合い、皆で触発し合う場にしていきたい! そして共に、いかなる苦難をも断じて乗り越え、“何でも話し合える『対話の創価学会』”を、狂った原田執行部から取り戻して参りたい! ただただ大恩ある師匠のために! 我が人生の誓いを果たすために!! 師が護り抜かれた『偉大な民衆城である創価』の未来を開くために! 共々に戦って参りたい!!
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