いよいよ、「10・14埼玉・坂戸座談会」まであと6日となりました。
今回は、本年8月27日付で学会本部が除名を確定させた篠澤協司さんの地元・埼玉県坂戸市で開催させていただきます。
最前線の地区部長として10年。
篠澤さんは、地区の同志お一人おひとりと膝詰めの対話を重ねられ、深き信頼を築き上げてこられた。
“師匠からお預かりした地区員さんをお守りさせて頂きたい!
断じて共に幸福勝利の人生を勝ち取る!
そのためにも、絶対に、絶対に師匠の平和思想に違背する『安保法制』のおかしさを、大事な地区の方々に伝えていかねばならない!“
むろん、批判のための批判ではなかった。
同じ池田門下として、「学会本部が、安保法制を推進する公明党を学会員に支援させることは師匠池田先生の絶対平和主義に反している」と感じ、やむに已まれず、勇気の声を上げてきたのである。
しかし、その篠澤さんの葛藤の末の行為は、冷酷にも『執行部批判』との一言で一蹴され、あろうことかそれを理由に『除名処分』とされたのである。
“本部の指導は絶対である”
“言うことを聞かない人間は徹底的に排除するしかない”
なんと権威的、独善的な学会本部になってしまったのか。
誠実な会員を“見せしめ”的に除名し、周囲の学会員に恐怖心を植え付け、黙らせる。もはや人間の幸福のための宗教としての存在意義を完全に失った姿であると言って良い。
しかし、それとは対照的に、正しい行動を貫き除名となった篠澤協司さんは、いよいよ意気軒高である!
今回、坂戸での座談会とご登壇のお願いさせていただくと、「いよいよ坂戸でやりますか!」と、快諾してくださいました。
そして、「おかしくなった本部を変革する闘いは、師匠との誓いを果たす己との闘いです!これからが真の池田門下としての信心が問われる時です!」とさらなる不屈の決意を伝えてくださいました。
「難こそ誉れ」の精神で闘い抜かれる信仰者の境涯は無敵である。
今回、師匠のため、愛する創価のために命懸けで闘い抜かれる篠澤さんのお話をぜひお聴かせ頂き、共々にいよいよの決意で、創価変革の闘いを開始して参りたいと思っています。
さらに今回の座談会では、9月末に行なわれた沖縄県知事選で闘い抜かれ、“民衆勝利”の歴史を勝ち取られた同志Aさんにご登壇をしていただけることになりました!
急遽のお願いにもかかわらず、快諾して下さったAさん、本当に、本当にありがとうございます。
沖縄出身のAさんは今回の沖縄県知事選で、愛する故郷に対する溢れんばかりの想いを胸に、居ても立ってもいられず沖縄に飛んでいかれた。
そして、已むに已まれぬ思いで「三色旗」を振り、創価学会員として矢面に立って闘い抜かれたのである。
Aさんの偉大な勇気の闘いに、心から感動したことをお伝えさせていただいた。
するとAさんは、「ほんの少しの勇気は必要だったかも知れませんが、それ以上に居ても立っても居られず、このまま黙って見ているわけにはいかないというのが正直な気持ちでした。」とおっしゃられた。
「ほんの少しの勇気」――この言葉を聞いた時、私は涙が込み上げてきた。
この言葉の奥に、どれほどの忍耐と葛藤があられたのだろうか。
「黙っていれば良い。」「自分ひとり声を上げたところで何も起こらない。」「池田先生が創られた組織に間違いはない。」
今までそう考えてきた。そう考えることが楽でもあった。
しかし、それではいけないとAさんは悩み、行動を起こすのである。
「師匠と自分との誓いを果たすんだ!」「私が正しいと信じることをやり抜くんだ」と。
県知事選の結果は、“米軍基地、辺野古移設反対”の候補が、移設容認の候補に8万票もの大差をつけた圧倒的な大勝利であった。
私はこの「勝利」の現証に、県民お一人お一人の「もう沖縄に基地は必要ない!」「沖縄の自然を破壊するさらなる基地の建設はおかしい!」との明確なる意思と、傲り高ぶる自公に対する明確なる拒否の意思を感じてならなかった。
今回の「勝利」はいわば“沖縄の民衆決起の勝利”であり、この勝利の陰には三色旗を掲げたAさんをはじめとする“創価変革の同志”の方々の決死の覚悟の闘いがあったことはまぎれもない事実である。
Aさんたちは、師匠池田先生の、「核も、基地もない、平和で豊かな沖縄になってこそ本土復帰である—-それが、沖縄の人びとの思いであり、また伸一の信念であった。」(新・人間革命第13巻「楽土」の章)とのお心を胸に必死に闘われたのである。
しかし、創価学会の現会長である原田稔氏は、県知事選の期日前投票が始まる直前に沖縄に乗り込み、新基地建設を容認する候補を支援するよう訴えていたという。
もはや権力に骨抜きにされてしまった原田会長は、原点である師匠の平和思想など完全に忘却しているのだろう。
しかし原点を忘れた瞬間に、公明党も創価学会も存在意義すら無くなることは当然である。
創価の「教義」の根本である御書には、「時の貫首為りと雖も仏法に相違して己義を構えば之を用う可からざる事。」(御書・1618頁)と明確に定められている。
「時の貫首」、現代で言えば“創価学会の会長”であっても絶対的な存在としてはならないとの、日興上人のご遺誡である。
現在、原田会長ら本部執行部は、口では「“師弟が根本”である」と言っている。しかし裏では、創価の原点である師匠池田先生の平和思想を裏切り、師の仰せを守ろうと意見する会員を問答無用に査問し、除名し続けているのである。
もはやこれは創価学会の私物化であり、“仏法に相違して己義を構え”ている以外の何ものでもないではないか!
ゆえに私は何度でも叫び続ける!
「原田会長よ!創価の原点である師の平和思想を裏切るな!」
「学会のために声を上げた篠澤協司さんの不当な除名を撤回せよ!」と。
正しき創価を守り、発展させゆくのは私たち一人一人である!
温かな希望溢れる創価を取り戻すのも、誰でもない私たち一人一人の使命の闘いである!
さあ、皆でざっくばらんに語り合う、笑いあり涙ありの明るく楽しい希望溢れる民衆座談会を、同志が除名された埼玉・坂戸の地から“反転攻勢”の意義を込め、共々に盛大に開催して参りたい!
現状、埼玉・坂戸座談会の式次第を以下のように考えています。
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