今、「人間主義」を標榜する創価学会の組織の中で、あろうことか、創価を愛するゆえに「創価三代のご指導に反するのではないか!」と声をあげる学会員を抑圧する査問や処分が横行している。
岐阜座談会の翌日である3月26日にも、またもや創価変革の同志に対する迫害が起こった。
岐阜座談会に参加したAさん宅を幹部数人が訪問し、「執行部に抗議するサイレントアピールに参加したこと」や「私たち3名とつながっていること」などを理由に、Aさんに対し「活動停止処分」を言い渡したのである。
“執行部が決めたことに対して、声を上げる人間は悪である。”
今、創価の中でこうした考えがまかり通っている。しかし、果たして本当に大聖人そして三代の師匠の仰せに適った正しい考えなのだろうか?
会社でも、どんな組織でも、何でも意見を出し合えるところは伸びていき、逆に意見を封じ込め、一部の人間が独裁的に運営する組織は、衰亡していくことは歴史が証明している。
まして創価学会は、『会員が主役』である!
皆が、なんでも意見を言い合えるのが、師匠が築かれた創価の世界である。
師匠池田先生は常々言われていた。
「おかしいものには『おかしい!』と声をあげていけ!」
「違うものには『違う!』と言っていけ!」
今、学会執行部は、この師匠のご指導に反し、自分たちに都合の悪い意見を封じ込め、見境なく学会員を排除・処分し続けている。
そんな組織に建設も発展もないことは明らかである!
Aさんに処分を通知した数時間後、さらに今度は地元の最高幹部B氏が、突然Aさん宅を訪問し、深夜に至るまで説得があったという。
昨年Aさんのお母さんが大往生を遂げられた際、B氏は葬儀の導師を務め、Aさんも一目置いている人物であった。
普段は優しいB氏の目は、冷たくAさんを睨みつけていた。そして御書を片手にこう語ったという。
「そんな事をしているとあなたもお母さんも成仏はしない!」
「学会こそが血脈を引き継いでいる!除名されたら地獄だ!」と。
滅茶苦茶である!
本当に何でもありの指導である!
御書を使い、組織と役職を使い、Aさんからの信頼をも使って、純粋で親思いのAさんを脅したのである。
“亡くなっている母も成仏はしない!”
“除名は地獄!”
何度聞いても、あり得ないものすごい言葉だ。
自分より役職の下の人間に向かって発するただの脅しである。この言葉には道理も何もない。具体的な理論も説明もないこの言葉が仏法者の言葉ではないことは誰の目にも明らかではないだろうか。
Aさんはいつも気丈に振舞う方だが、信頼していたB氏からの、この想定外の言葉にはさすがに面喰い、頭が真っ白になったという。
それでもAさんは、勇気を振り絞って「おかしいことにおかしいと声をあげることが間違っているとは思いません」と言い切り、B氏の「闘いを止めろ!」「3人との関係を絶て!」との説得を断り続けたという。
ようやくB氏は観念し、「次は分かっているやろな!」と捨て台詞を言って帰っていったという。
いやはや本当に狂っている!
完全に“悪鬼入其身”そのものの姿である!
“こんな苦しい思いをするくらいなら、自分から創価を辞めてしまおうか・・・”
一瞬、弱い心がAさんの頭をよぎる。
しかしAさんは断じて諦めなかった。
『師匠と御本尊だけは絶対に離さない!』
Aさんを支えたのは、生前亡き母がよく口にされていた言葉であり、それはそのまま亡き母への誓いであった。
今、Aさんは深く決意している。
「うちのオカンは成仏しとる!今度B氏に会ったら言いたい事を言い切っていく!」
「此の法門を申すには必ず魔出来すべし魔競わずは正法と知るべからず」(兄弟抄・御書1087頁)
「いよいよ道心堅固にして今度・仏になり給へ」(四条金吾殿御返事・御書1184頁)
「日蓮が弟子等は臆病にては叶うべからず」(教行証御書・御書1282頁)
正しい行動を起こしていけば、魔が競い、難が起こることは必定である。
ゆえに、Aさんが今世で仏になるための直道を歩まれていることは間違いない!
また創価がこうした状況になることを、師匠は見通され、こうご指導されている。
「幹部のための学会ではない。会員のための学会である。
断じて、学会員を苦しませてはいけない。
そのためにも、おかしな幹部がいれば、皆で声をあげていくのである。
『学会の指導と違うではないか!』『師匠の言っていることに反しているではないか!』と。
そうやって皆が強く叱咤・激励して、立派な指導者をつくっていけばいいのだ。
『下』から『上』を動かしていけ!―それが牧口先生のご指導であった。
ともあれ、私は、同志の皆さん方から、『素晴らしい創価学会だな』『学会員で本当に良かったな』と心から喜んで満足してもらえるように、すべてを総仕上げしてまいりたい。
私が先頭に立ってやっていく。
ともどもに力を合わせて、永遠不滅の創価学会をつくりあげていこう!」
(2006・10・28 全国代表者会議でのスピーチから)
師の仰せ通りに!
弟子ならば
ただただ
師匠の仰せ通りに!
私は生きたい!
この先も いや未来永劫に!
私は先生の弟子として!
馬鹿がつくほど正直に!
嘲笑され
迫害を受けても
大好きな 心から尊敬する
池田先生の弟子として
私は! 断じて! 断じて! 生き抜く!!
来る4月29日に開催予定の「信越・長野座談会」ですが、この度、会場を長野県飯田市にある「伊賀良公民館」に決定致しました!
伊賀良公民館があるこの地は、当時、四条金吾の領地であった現在の殿岡を含む地域で、大聖人と四条金吾に縁ある地でもあります!
現状、式次第を以下のように考えています!
お一人お一人が己の人間革命と広宣流布の闘いに挑戦し抜き、断固、己に勝利した姿で当日を迎えて参りたい!
創価を蝕む極悪打倒の祈りと、一人一人との対話を根本に、師匠に誓った創価変革を断じて成し遂げる!
■ 4月4日付『創価新報』での、『私たち3名』及び『創価変革の闘い』への中傷記事 第2弾について
今般の4月4日付の創価新報において、『青年部員と語る 元職員らの中傷行動について②』と題して、私たちに対する2回目の中傷記事が掲載されています。
しかし、そもそも私たち3人をいくら非難しても、“原田会長をはじめとする本部執行部が正しい”ということにはなりません。
話を聴くこともなく、全く取材すらせずに、「第4の権力であるマスメディア(機関紙)」を使って今の原田執行部に声を上げた私たちを「反逆者(悪)」と決め付け、攻撃してきたこと自体、本部のおかしさの証明となっています。
創価新報の連載は、学会本部が行なっている学会員に対する不当な弾圧から、学会員の目を背けさせるために私たちを非難するという、いわゆる『すり替えの論法』です。
サイレントアピールに参加していた埼玉の壮年Fさんが3月19日付で除名となりました。金銭問題や男女問題を起こしたわけでもなく、除名となったのです。除名は信仰者にとっての極刑です。
このタイミングで「創価新報の連載」が開始されたこと自体、その目的が『壮年Fさんを除名した問題』から、学会員の目をそらさせようとするものであることは明らかであり、師弟を見失っている学会本部執行部がいよいよ追い込まれてきた証左であると言えると思います。
また牧口先生は『認識せずして評価するな』と言われていますが、今回のこの記事も私たち3名に対する取材は一切行われていないため、事実誤認や事実の歪曲、また著しい評価の誤りがあります。
たとえば、「元職員3名は解雇無効の裁判に敗れたから、政治問題に飛びついた」と言っていますが、事実ではありません。
私たちは2014年10月に中国の習近平国家主席に出した手紙でも「貴国を明らかに敵視する『集団的自衛権』の行使容認を虎視眈々と進めているのです」等と書き、政治問題にも触れながら、その根本原因が変節した学会本部執行部にあることを厳然と訴え続けてきました(「実名告発 創価学会」P47~)。
私たちの目的は一貫して、師匠の仰せどおりの創価学会を取り戻すことです。
多くの憲法学者が違憲だと判断した集団的自衛権の問題の根っこも、本部執行部の狂いにあります。
ゆえに、本部執行部の変革こそ重要であり、そのために不当な解雇の無効を勝ち取ることを最優先に闘ってきたに過ぎません。
このような、私たちに確認すれば簡単に分かる疑問すら確認せず、自らの硬直化した視点でデマを垂れ流すのが、今の学会本部の体質であると言わざるを得ません。
「問題」は、自公政権のごり押しによって成立した安保法制が、師匠の「絶対平和の思想」と「積極的な平和構築の行動」とは真逆の方向性となっていることであり、その根本的な問題は、師匠違背の法制度を学会本部が容認どころか推進しているという一点なのです。
そして、この点に対する学会本部の説明がまったくなされていないということが大きな問題なのです。
本部執行部は自分たちへの非難の矛先を私たち3人に向けるために、『創価新報』を使い、私たちを攻撃することを至上命題として卑劣な偏向報道を繰り返しているのです。
そもそも昨年10月、東京高等裁判所は、野口の妻である桃子さんが職員であり聖教新聞社の部長を務めたG氏から侮辱を受けたとして、G氏に対して22万円の損害賠償を桃子さんに支払うよう命ずる判決を下しているのです。
それにも関わらず、創価学会の中では、職員G氏は何も処分を受けていないばかりか未だに幹部として地位を保障され、桃子は未だに無期限の「幹部への連絡・訪問禁止」の処分を受け続けているのです。
執行部に服従すれば守り、声を上げれば簡単に除名する。先生がお元気であられた創価では絶対に考えられないことです。
私たちはこれまで何度も、創価学会本部でサイレントアピールを行なって来ました。私たちは、本部執行部の目の前でプラカードを持ち、創価の変革を訴えてきました。
本当に、私たちが間違っているというのであれば、学会本部の窓やビデオカメラでコソコソ見ているのではなく、堂々と出て来て私たちと対話をすれば良いではないか!!
『対話こそ創価の生命線である!』
これからも私たちは、この師匠の精神を断固貫く決意です!!
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