今回、学会本部は、またしても5月16日(水)付「創価新報」の「元職員らの中傷行動について③」で、一度の取材もないなかで、私たち3人への誹謗中傷のみならず、いち会員であるAさんの実名を出して誹謗中傷するという、ありえない行為に出てきました。
顔と名前を明かして創価変革を呼び掛けている私たち3名の事ならともかく、一民間で働いているAさんの実名をさらして、誹謗中傷する行為は人権侵害かつ犯罪行為です。断じて断じて許されることではありません。
Aさんにはご家族も子どももいるのです。そして、親類や友人、むろん職場の人間関係もあるのです。全国版の新聞で一民間人の実名を公表し誹謗中傷をして生活の平穏を害する。そんな権利など誰人にもない!
しかもAさんはすでに4年半前に学会から除名にされているのです。もう学会員として師匠のつくられた創価の組織で同志と共に戦う権利すら奪われているのです。立場の弱い一庶民にあれだけの制裁を与えてもなお、権力を使って実名をあげ、事実を捻じ曲げ、誹謗中傷して追い詰める。
しかも、その誹謗中傷の内容は10年も前のメールを取り上げ、事実を捻じ曲げ、Aさんの悪印象を植え付ける物語となっている。
対話なく、取材なく、 一個人の実名を公表して、メディアという権力を使って一方的に攻撃。完全に悩乱したと言わざるを得ない!学会本部は行くところまで行ってしまった。
これこそ、魔性のはたらきである!!
これこそ、第六天の魔王の所業である!!
これが本当に師匠の精神を継承したやり方なのか!
世界の平和と人類の幸福を目指す創価学会本部のやり方なのか!
師匠は明確におっしゃっています。
「生命は一人も残らず、公平な尊厳さがある。『僧が上、信徒が下』、とんでもない間違いです。創価学会は『会長が上、会員は下』、とんでもない間違いです。本末転倒です。これはもう、そうなった場合には、創価学会も邪教です。」と。
一体全体、創価三代の師匠の思想と精神はどこへ行ってしまったのか!
今、学会本部は、まさに『会長が上、会員は下』となり、原田会長の指導に従わない人間、原田会長に建設的な意見を言う人間に対して、徹底的に排除していく体質になっている。
執行部に声を上げただけで排除された埼玉の壮年Aさんの除名処分も然りである。
こうした原田現執行部が、師の精神を裏切っていることは明らかです。ゆえに、ただただ自分が正しいと信じる行動を貫かねばならないと決意しています。
結局、学会本部は、埼玉の壮年Aさんを除名処分にしたことが相当まずいことであることを自覚しているのでしょう。
ゆえになんとか、“6月頃に本部監正審査会(除名の不服申し立ての期間)の審査日が決定しそうである”という不都合な話題を逸らそうとしていると思えてならない。
以前は、学会本部は「週刊朝日」や「週刊金曜日」などの週刊誌の取材に対して、私たちのことを「怪文書のたぐいでお答えできません」などと言っていた。それにもかかわらず、今では創価新報を使って、私たち3名と同志に対する誹謗中傷記事を4度にわたって掲載するまでになっている。
つまり、サイレントアピールの人数が毎回増えていくことに脅威を感じ、もう放っておけなくなっている。
やましい原田執行部にとっては、どんどん拡大する「創価変革の運動」をなんとしても阻止したいのです。
しかし、どんなにあがいても原田執行部のやっていることはおかしい!ゆえに、自分で自分の首を絞めていると言っておきたい!
以下に、今回の「創価新報」に掲載された内容で、特に悪質なところを以下に端的に要約し、反論します。
1.会員Aさんが『足軽会』の中心者で、Aさんが足軽会メンバーに送ったメールに「足軽会を抜けることは絶対に許されない」「(足軽会を抜けることを)少しでも認める同志は叩き潰す」と記されており、『足軽会』は独自の問題グループである。
(反論)
よくこんな人を陥れる悪意の記事を意図的に作れるものだと、激しい怒りとともに悲しくてなりません。
まず、小平が川崎学生部を卒業する際、「足軽会」という名の同窓会的なグループを作ったことはブログ「1の2」で書いた通りです。足軽会は、社会人となり、男子部に移行され戦えなくなる学生部出身者が多かったことから、互いに励ましあって生涯信仰を貫こうとのことで自然発生的に出来た同窓会的なものでした。特に中心者などいませんでしたし、中心者を決めた事実もありません。したがって、会員Aさんは中心者ではありませんでした。
しかも「足軽会」は本部職員から誤解されたため、2004年に解散し、もう存在していません。
次に、Aさんが当時の足軽会メンバーに送ったメールについてですが、これは意図的に捻じ曲げられています。
メールの主旨は、“一人苦しむ同志Bさんに対し、何としても励ましたい”とAさんが懸命になって書いたものでした。
Bさんは、当時、川崎の学生部で県書記長として活動していました。しかし、多忙な仕事のためなかなか学会活動が出来なくなり、会合にも出られなくなっていきました。真面目で少し内向的な性格だったBさんは、学会活動ができていない自分を責め、徐々に連絡が取れなくなっていったのです。
AさんはBさんのことを心配していました。AさんはBさんの先輩でした。それどころか、Bさんが学会学生部で戦うきっかけをつくったのはAさんでした。だからこそAさんはBさんを心から心配し、優しい性格のBさんに配慮してBさんに対し直接メールで伝えるのではなく、当時存在していた足軽会のメールを使い、足軽会メンバー全員にメールを送ることで間接的にBさんを励ましたのです。
このメールには次のように書かれています。戦えなくなっている友を思って書いた内容であることが容易に分かるはずです。
「なんのために足軽会があるのか。絶対に絶対に忘れてはいけない。
足軽は英雄の集いではない。
また特別な集いではない。
がむしゃらに第一線で戦い、泥にまみれて戦う友のためにある!
命に悩む友のためにあり、戦に疲れた友のためにある!
また、思うように活動出来ぬ友のためにあり、生涯同志として戦うためにある!
何度も言うが『悩む友』のために足軽会がある!
時に仕事の忙しさでまた苦しさで広布を考えられなかった命に悩む友のためにある。
また一時戦えなかったことが生涯の財産となり土台となるのが信仰である。」と。
Aさんは、仕事で思うように学会活動が出来なかったBさんを思い必死に励まそうとメールをつくったのです。
創価学会は、社会で必死に戦い、苦しむ一人の友のためにあります。師匠はこれまで、そのような一人の同志を必死に護ってこられました。
当時私たちがつくった「足軽会」も、まったく同じ思いでした。
当時は、本部職員である学生部幹部が権力を振りかざし、師匠が仰られる温かい創価の組織は失われている状況があったのです。
そうした中で、Aさんは足軽会のメールを使い、足軽会メンバー全員にメールを送り、「君を責める同志は一人もいない。時に戦えない状況があっても絶対に自分を責めてはいけない!」とただただ悩む一人を励ますために送ったのです。当時そのメールを受け取った人は誰もがその意味を理解していました。
2008年の本部指導監査委員会で、このメールが取り上げられました。
この当時、Aさんや私たちは、Bさんとは連絡を取っていない状況でしたが、ひさしぶりにBさんに連絡を取り、当時送られたこのメールを受け取ったときの気持ちを確認しました。
そこで、Bさんは、次のように語ってくれたのです。
「このメールについてよく覚えています。当時は学生部の書記長でしたが、仕事のため戦えなくなり、活動できていませんでした。そんな日が続き、連絡を取ることも難しくなり、学生部の方からの連絡も受け付けない状態となった。無視していた。ただ、自分自身は戦いたいという思いはあったので、メールだけは目を通し戦おうと決意していた。
このメールをしてくれたAさんとは、●●区学生部の●部で●●をさせていただいていたときからの付き合いです。長い付き合いをさせていただいていました。
活動ができていない、その状況の中でAさんは僕を傷つけないために、直接僕にメールを送るのでは無く、みなに確認をするという形で僕に『絶対に負けてはいけない』と伝えてくれた。
そもそも『足軽会』というもの自体が何か行動を起こすとか、特権的な立場をつくるようなものでなく、同じ時代を共に戦ってきた人間が、一人も漏れることなく一生涯師弟の信心を貫いていくための、防波堤として自然発生的にできた集まりでした。一生涯、足軽の様な地位も名誉も無い、一兵卒という思いで名付けたものです。そういった意味から、一人戦えなくなっている僕の苦しみを全員で共有するため、あえて全員にメールを送り、またそのことで僕を奮起させるためのメールでした。
そういった意味を理解していたので、本文にある、『抜けようとすることを認めない』ということは、僕自身が性格的に自分が犠牲になればよいと考えてる傾向があったその僕自身に対し、僕の性格をよく理解しているAさんだからこそ使ったメールの表現です。
このメールは会の強制的な意味合いをもったものではなく、私の事を一番よく理解して言うAさんから私に対して、送っていただいた激励の真心のこもったメールでありますし、そのAさんの心をよく知るメンバーだからこそ送られた皆で共有できたメールだと思います。
『自分さえいなくなれば』という事を考えていた僕自身に対して『そうではない』と言ってくれた。
また全員に対して送ってくれたことで僕自身だけの責任ではないとしてくれ、共通認識にしてくれ、また戻ってきやすい環境を作ってくれるためにあえて全員に対して送ってくれた。
このメールに対して、感謝するはことあっても、その他に批判を持つということは全くありません。
足軽会は強制力のある会では無く、皆の自発的なものでした。
また、『叩き潰す』という表現については、僕が自ら責任を取って会を抜けることを許す同志は叩き潰すという表現です。なぜなら、(もしBさんが活動から離れることを容認してしまうのであれば、それは)自分で言うのもおこがましいが、僕に対するその恩を忘れた姿だからだ、ということでした。このことからも会を抜ける人間を脅している事実は全く無い。」
(カッコ内の言葉は3名による補足)
Bさん自身が、「このメールは会の強制的な意味合いをもったものではなく、私の事を一番よく理解して言うAさんから私に対して、送っていただいた激励の真心のこもったメールでありますし、そのAさんの心をよく知るメンバーだからこそ送られた皆で共有できたメールだと思います」と証言してくれました。
私たちはBさんの証言を書面にまとめ、本部指導監査委員会に提出したのです。
しかし、学会本部、そして本部指導監査委員会は、全くBさんの話を信じようとはしませんでした。Bさんの証言からも、AさんはBさんを励ますために送られたメールであることは容易に理解できるはずでした。
しかし本部指導監査委員会は、足軽会はAさんが中心者であり、Aさんは会から抜けることを許さない強制的な組織内組織を作ったとしたのです。そもそも、常識的に考えても、会から抜けることができない同窓会など作れるはずがありません。
そして、10年たった今回、そのメールを切文で抜き取り、数珠つなぎにして、Aさんのメールの真意を180度変える形にして、Aさんの生活すら奪おうと実名を出して攻撃してきたのです。
とにかく、Aさんと私たち3名の悪いイメージを学会員の方々に植え付け、必死に自分たちを護るために。あまりに、あまりに醜いやり方である!
(「パート②」に続く)
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